ヴィオルの前では忠実な兵として跪き、束の間の逢瀬ではアガーテとの時間を過ごす。
決して悟られてはいけない関係。
それでも、アガーテがそうしているように、メノウ自身も自分の気持ちを過剰に抑える事は辞めた。
アガーテとのひとときは、白黒だった日常に微かな色味を添えてくれる。
懸命に生きる花を枯らさないように、逢瀬の終わりは必ず彼女を笑顔にさせようと心がける。
ささやかなその時間、アガーテはいつもヴィオルに対する愚痴をぶつぶつとぼやいたり、幼い頃の幸せな記憶を懐かしそうに語って聞かせる。
対するメノウはこれといって話せる思い出話などない。アガーテは何度も彼の身の上に興味を示したが、この無垢な女性に血生臭い人間の話を聞かせる勇気は出なかった。
アガーテとの時間を作るようになってからは、彼女からの意味のない命令は目に見えて減っていった。
表向きは未来の王妃とその臣下。それ以上でも以下でもないと振る舞う。
一日の終わりにこっそりと逢瀬を重ね、その日一日で心に降り積もったわだかまりを解消していく。
このままうまくいけば、ひとまずは大丈夫だろう・・・――
などと考えるほどに油断していた。
婚姻の儀式が迫るある日の事。
儀式で身に纏う衣装を調整していたはずのアガーテが、血相を変えてメノウのところへ逃げ込んでくる。
別の雑務を片付けていたメノウが何が何だかわからないうちにアガーテに引っ張られていき、“あの日”のようにアガーテの私室に押し込まれる。
「な、なんや、どないしたん?!」
驚いていた彼がようやく平常心を取り戻したところで、アガーテが真っ青な顔をしている事に気が付く。
「ヴィオルが! 私を! 私を・・・!!」
儀式の準備のために試着していた衣装がはだけ、ブロンドの髪が乱れている。
もうその姿から、ヴィオルが何をしでかしたのか察するに余りある。
というか、むしろ、あの欲望に忠実な男がこの日までアガーテに手を出さなかった事の方が不思議なくらいである。
「・・・やられたんか?」
慎重に尋ねると、彼女は躊躇いがちに口を開く。
「直前で逃げ出せたから、何とか大丈夫。
でも、次はないわ・・・。
あの人、婚姻の前に私を穢そうとするなんて・・・!!」
そういう男であると、メノウは昔からよく知っていた。
まだここへ来て日が浅いアガーテにとっては、予想以上の衝撃だったようだが。
いつかは否定できない可能性が突然示され、アガーテは混乱しているようだった。
その混乱が落ち着いてくると、今度はぽろぽろと涙が溢れる。
「だめ・・・。やっぱりだめだわ・・・。
私にはあの男を受け入れられない・・・。
あの男は、私を愛しているわけではないのよ。
私の身体を試したいだけなんだわ・・・」
泣きながらそう連ね、そして彼女はメノウに縋りつく。
「ねぇ、助けて。私、本当に壊れてしまいそう。
あの男に抱かれたら、何もかも、すべてが穢されるわ・・・」
絞り出すような悲痛な声。
膝から崩れ落ちたアガーテを見つめるメノウはわずかな震えを感じる。
――自分が、何かを恐怖している。
また大切な何かを失ってしまうような、“あの時”と同じような感覚。
あの時は、気付くのが遅かった。もう取り返しがつかない時だった。
だが今はどうだろう?
「アガーテ」
床に手をついていたアガーテは顔を上げる。
涙で濡れた頬に、大きな手が添えられる。
「全てを捨てる覚悟はあるか?」
「全て・・・?」
「家も、地位も、今までの恵まれた環境も、全て、だ」
彼が何を言おうとしているのか・・・――
「・・・メノウ」
アガーテは彼の頬に手を添える。
「主として、最後の命令を下すわ。
・・・私を、ここから連れ去って!」
「――仰せのままに」
-10-
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