エレミア家の長男であり、ティルバの兄であるヴィオルが次代の王として大方決定になったようなある日。
彼に侍らせる1人の女性が王城を訪れた。
彼女はアガーテという名前であり、このブランディアに無数に存在する貴族の中の1つから差し出された令嬢だった。
多少なりとも他国の血が入っているのか、ブランディアでは珍しい白い肌とブロンド、碧眼が美しい少女だ。
ヴィオルは一目で彼女を気に入り、未来の伴侶として歓迎する。

その当時、次代の王がヴィオルかティルバかで揺れていた。
ヴィオルは典型的な独裁主義者であり、力任せの野蛮な政治を好む。
ティルバは兄とは異なり、理論的で気品のある政治を好む。
王としての手腕にはティルバの方に注目が集まっていたが、未だ男尊女卑の風習が根強いブランディアでは女王など君臨できるはずもなく、騙し討ちのような形でヴィオルが王位を攫ったのだ。
ティルバと古い馴染みのメノウはもちろん王女側についていたが、ヴィオルの王位が目前となった頃に、その戦闘力を物にしようとするヴィオル側へ移籍を命じられていた。
そして、もうすぐヴィオルと正式に婚姻関係を結ぶであろうアガーテの身辺を警護する近衛兵となったのだ。
ティルバの付き人としての立場はゼノイに引き継がれたが、しばらくの間は前と変わらずに気紛れに酒を飲みかわして息抜きをする間柄だった。



メノウが新たな主として紹介されたアガーテという少女。
確かに美しい娘ではあるが、その表情は頑なに何かを拒絶しているようだという。
アガーテがヴィオルに差し出された理由は政略結婚以外の何物でもない。
色狂いで有名だったヴィオルの気を引くには、やはり美しい娘を使うしかない。
アガーテの身と引き換えに、彼女の実家は膨大な金と地位を受け取っていた。

どんなに気難しい主かと全く気力の湧かないメノウが見た少女は、彼を見た瞬間ぱっと花を咲かせた笑顔の持ち主だった。



「あなた、とても素敵だわ!
本当に私の付き人になってくれるの?」

拍子抜けなほど軽快なアガーテの表情にメノウは目を白黒させる。
後の彼女はこの時の気持ちをこう表現する。――俗にいう一目惚れだった、と。



これは皮肉か、それともなけなしの絆なのか。
悪魔とはいえ美女であった母の血を継ぐ彼は、控えめに言ってもそれなりに女性の目を引く容姿だ。
当人はあまり興味がなさそうだったが、王城に勤める女性の使用人の間では定期的に話題に上がる。
気紛れに相手をしてやってはいたが、自覚のない魔性か何かが女性達を虜にしてしまい、決まって重たい愛をぶつけられるのだった。
これ以上は彼女達の人生に関わると察した彼は、深入りしないように一歩引いたところにいた。

そういう経験があるため、アガーテの反応も特別おかしいものではなかった。
だがそれは困る。彼女はヴィオルの許婚だ。例え近衛兵といえども、職務以上の関係は許されない。
彼女の気の迷いを晴らそうと、彼はとりわけ冷たく接していた。
それでもしぶとくアガーテはメノウの気を引こうとする。
用もないのに呼び出したり、目的のない街中の散策に連れ出したり、といった具合だ。
主の命に逆らえない事をいい事に、彼女は何度もメノウを傍にいさせ、嬉しそうに笑っているのだった。
それはヴィオルの目の届かない場所で行われていたが、積み重なると察する者は察するようになってくる。

いよいよ痺れを切らしたメノウが、まだ何も知らないヴィオルに職務の異動を申し出る。
ところが、アガーテをよっぽど気に入っているのか、ヴィオルは彼女をあらゆる危機から救える有能な護衛はメノウしかいないと決めつけ、その申し出を退けてしまった。





さて今後どう対応するか、と頭を抱えながら廊下を歩いていると、アガーテが珍しく悲しそうな顔でメノウを待っていたのだった。

「聞いたわ。あなた、ヴィオル様に言ったそうね。
私から遠ざけて欲しいって」

多少語弊もあったが、とりあえず素直にそうだと頷く。
するとアガーテはメノウについてくるよう命じる。



連れてこられたのは彼女の私室だった。
誰もいない事を確認し、アガーテはわっと泣き出す。

「私はあなたが好き。だからヴィオルなんかと結婚するなんてイヤ。
今まで無理をさせてごめんなさい、でもわかって欲しいの。
あんな男との未来なんて、想像しただけで、恐怖で押し潰されそう。
どんな仕打ちが待っているかわからないわ。さっさと飽きて使い捨てられるかもしれない。永遠に閉じ込められるかもしれない。
でもあなたを想っていれば、そんな恐怖にも耐えられる。両親にも誇れるわ。
だけど、想えば想うほどに、あなたがどんどん恋しくなっていくの・・・」

泣き崩れる彼女。
そこでようやく、彼女の今までの行動は彼女なりの救いを求める手段だったのだと悟る。

――口が裂けても、あなたとの未来が欲しいなんて言えなくて。

「もう無理させないわ。だから、せめて私の傍にいて。これからもずっと。
例え結ばれないのだとしても、それでいい。あなたがいれば、私は私でいられるわ」

ここまでの日々で、一度言い出したら曲げない頑固者であるアガーテの事はよくわかっていた。

彼女はここへ至るまで、何不自由なく育てられてきたのだろう。奴隷だったメノウとは違う。
それでも、その普通の日常と引き換えに、必ずや不幸にするであろうヴィオルとの婚姻を決められた。
まだ年若い彼女が抱えるには重すぎる期待と責任という『石』を背負わされ、ここまでやってきた。
彼女の中には強い信念がある。自分の気持ちを決して蔑にしないという決意だ。
それは自分自身を愛せているからこそ成せる事。
もう既に多くを手放し、多くを諦めていたメノウにはない意志だった。



「・・・星でも見に行くか?」

それが、涙を流すアガーテにようやく投げかける事ができた言葉だった。



-09-


≪Back | Next≫


[Top]




Copyright (C) Hikaze All Rights Reserved