雨期の大雨の中、ずぶ濡れで学校の扉を叩いた訪問者がいた。
何かから必死で逃げてきたのか、もうここ以外に頼れる場所がないといった深刻な表情をしていた。
その彼が、土砂降りの雨で濡らさないように身を呈して守ってきた小さい子供も顔を出す。
クレイズ・レーゲン。
そしてその娘、カイヤ・レーゲン。
2人は嵐の中、はるか遠くの黒の国からここまでやってきたという。
学長はその顔に見覚えがあった。
少し前に、やたらと手のかかる卒業生とよくつるんでいた生徒だ。
確か彼は、錬金術分野を首席で卒業し、黒の国の医療機関に配属された研究者だったはず。
そんな立派な遍歴を捨ててまで母校にやってきたというのだから、何か事情があるのだろう。
学長はこの2人を快く受け入れ、さらには専用の部屋もあてがった。
もちろんそれは無償の好意ではない。
学長がクレイズ達を匿う代わりに提案したのは、今まさに指導者を求めている優秀な見習い学者の世話役だ。
もはや交渉の材料も持ち合わせていないクレイズは素直に承諾し、ようやく愛娘を屋根の下へ入れる事ができたのだった。
あれこれと研究材料を集めてはひたすら分析に励むアンリに、学長からクレイズを紹介される。
既に自らより優れた人物と出会う機会が少なくなっていたアンリは当初その男を不審がっていたが、すぐにその感情は覆される。
クレイズはアンリと同じように世間を斜に見ており、感情が薄く、どこか達観した印象の青年だった。
血の繋がりはないと説明された小さな娘を抱え、彼は何を思ってここにやってきたのか。
過去の経歴を探れば、稀代の秀才だったと誰もが口を揃える。
その昔、精霊術・錬金術・召喚術というこの世界の学問の3分野で同じ年に輩出された天才的な卒業生達がいたと伝え聞くが、クレイズがまさにその中の1人らしい。
研究者だった過去を持つクレイズは、本人は無意識にしろ教えるという行為にも才能を持っていた。
彼の部下となったアンリはその姿をつぶさに観察し、やがて配属された10歳未満の生徒達のクラス――初等課程の授業でそれを生かす。
アンリは昔から人付き合いが苦手だ。
それはクレイズも同じらしく、上司部下といった間柄で変に気を利かせる必要もなく、アンリにとってはこの上なく居心地のいい立場だった。
個人的にこの秀才の話が聞きたいと珍しく酒に誘ったりもしたが、クレイズは聞かれた事に答えるのみに徹しており、アンリの忘れたい昔話をわざわざ掘り返す必要もなかった。
もちろんアンリは理由なく誰もに噛み付く猛犬ではない。
いい意味でも悪い意味でも人間らしい感情を混ぜてこないクレイズの指導はアンリの性に合っており、教育者としての知恵もどんどん吸収していく。
師として仰ぐに値する人物との出会いはアンリにとってまさに幸運だったが、その傍らで師が秘めたる歪さも徐々に感じ取っていく。
-05-
≪Back
|
Next≫
[Top]
Copyright (C) Hikaze All Rights Reserved