なるほど、フォシルはまさに平凡を貫いた頭脳だった。
むしろ平凡のそれよりも劣っていたかもしれない。
教科書の最初の1ページを理解させるだけで1ヶ月はかかったかもしれない。
放課後にグレンとフォシルは学校の近場の喫茶店で教科書を広げ、何度もコーヒーをおかわりしながら数時間居座っていた。
どうしてこんな平均的な女にここまでの時間を費やしているのか、その時間だけでその辺りの遊女を数人引っかけられるのでは・・・とグレンの本能がつついてくるが、彼の話を心から楽しそうに聞いているフォシルの笑顔を裏切れないでいた。
恐らく彼女は、グレンが愛想を尽かしてもいつも通りニコニコと去っていくだろうが、その姿を見る罪悪感の方が勝っていた。
今目の前でキラキラと顔を輝かせるこの平凡な女性は、受付に座っている時の笑顔と何かが違う。
本当に“笑っている”のだ。
気紛れに会っていた頻度がやがて数日置きになり、それが毎日になり、気付けば数か月、グレンは生きがいにしていた女遊びの時間をフォシル1人の教師としての時間に充てていた。
まさに亀の歩みのようだったが、ゆっくりと、教科書をめくるページを増やしていく。
教科書が残り半分となった頃、グレンはふと気が付く。
この教科書を全て理解させたら、この時間はなくなるのだろうか。
フォシルは例の如く丁寧にお礼を述べるだけで、その後は受付人形に戻るのだろうか。
「お前はどうしてこの教科書を読もうと思ったんだ?」
いつもの逢瀬の帰りに尋ねると、フォシルはふふふ、と笑う。
「私、本当は学校で学びたかったのですよ。
かっこいいじゃないですか、学生さんって。
でもこんなアタマですから。入学すらできなくて。
この教科書はたまたま、書店で見つけたので思わず買ってしまったのです。
中身は難しくてさっぱりでしたけれど、これを持っているとちょっぴり自分に自信がつきますので」
学生に憧れ、学校に憧れ。
それでも当事者にはなれない運命のようだから、せめて近くで働きたい・・・――
フォシルが学校に勤めている理由はそういう事だった。
「グレン先生のおかげで、こんな私でも少しだけ賢くなれました。
やっぱり楽しいですね、勉強って!」
彼女は彼女なりに、貼りつけた笑顔の裏で自らの至らなさを嘆いていたのかもしれない。
あの受付人形の本当の心に触れたような気がして、グレンは口を閉ざす。
今までこの女性をどう誘おうか、とはいえ彼女にここまで労力を割く価値があるのか、と悶々としていたが、そんな煩悩を抱える彼の前でフォシルは真摯に彼の言葉を理解しようと努力していたのか。
それに気が付いてしまうと、己の思考回路を燃やして捨ててしまいたいほどに恥じてしまう。
同時に、そんな気持ちがまだ自分の中にあったのだと安堵もする。
その時彼は決めたのだった。
2人を繋げたきっかけであるその教科書が無事役目を終えた時、この心の内を正直に伝えようと。
-04-
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