制御を失ったように黒竜が暴れ出す。
首を逸らせ、咆哮を上げ、長い尾が周囲を見境なく薙ぎ払う。
やがて青銀に煌めいたその瞳が、リアンを捉える。

「なっ・・・!」

一瞬だった。

――鋭い爪がリアンの身体を貫く。

「あぁ、まったく・・・
数式に嵌らない事象は嫌いなのですよ・・・」

リアンがその場に崩れ落ち、黒竜も魔力の供給を断たれて力を失う。
黒い身体が倒れると、周囲の雪の結晶が煙のように舞い上がった。



「・・・カルセ、ドニー・・・?」

静かに近づいたジストは、目を閉じたまま動かない巨体を見つめる。

「どうせ、すぐ目覚めますとも・・・。
貴女達が“殺さずに”、彼を止めたのですから・・・」

「リアン」

「ふふっ・・・。
ここまでですか。嘆かわしい・・・」

倒れるリアンから血の海が広がる。
純白の雪が真っ赤に染まっていく。



倒れるリアンの頬にジストが手を当てる。
いつかは愛していた、恩師の肌。
少しずつ温もりが抜け落ちていく。

「何故でしょう・・・。不思議と晴れやかな気分です・・・。
姫様、貴女に敗れたというのならば・・・えぇ、素直に立ち去りましょう・・・。
最期に目の前に立ったのが・・・他の誰でもない、貴女でよかった」

「何故そう思う?」

「・・・何故でしょうね・・・。
18年の月日で、情でも湧いたのでしょうか」

「よく言う。
私が幼い頃に渡した手紙さえ、そこらの書類と同じ扱いをしていたくせに」

「そんな事もありましたか。ふふ。言ってみただけですよ・・・」

夜明けが近い。
リアンは遠く空を見上げる。

「・・・貴女はこの星空を守った。
この大地を、海を、人々を、守った。
いずれはここも滅びゆくであろう、そんな歴史を、愚かにも守った」

「成るべくして成る歴史ならば、私も何も言うまい。
ありのままの姿で在り続けるのならば。
ここは、この世界に住まう人々だけの世界。
ここの人々が紡ぐ歴史というものを、“他人”が捻じ曲げて良いとは思わない」

「姫様・・・。
貴女も、随分と変わったようだ。
やはり私は、“教師”には向いていなかったのかも・・・しれません」

「・・・そうだな。どちらかというと、君にこそ師と呼べるものが必要だったのかもしれない。
“君らしさ”というものを芽吹かせてくれる存在が」

それは喜びであったり、怒りであったり、哀しみであったり、楽しさであったり。
人並みの、人生というものに彩りを与えてくれる存在。
“君”という歴史を、鮮やかにしてくれるもの。

「・・・いいえ、その存在はもう知っています。
些か、気付くのが遅かったのですがね・・・」

冷え切ったリアンの手がジストの頬に触れる。

「私のような存在は、独り、散りゆくのみだと・・・覚悟していましたから。
これでよかったのかも・・・しれません」

その瞳が最期に映すもの。
孤独でもなく、荒れ果てた地でもなく、貴女の腕の中で。

「さようなら、姫様。
・・・限られた時間、どうか悔いなきよう・・・――」

ジストの腕の中から、リアンの存在が薄らぐ。
星の欠片のような光の粒が、巡りくる未来の色を示す空へと吸い込まれていった。



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