先に口を開いたのは少女の方だった。

「こんにちは、“隣人さん”。
ドクター・アドの研究室へようこそ。
私は助手のサニ・ヴァイスっていいます」

薄桃色の髪に氷色の瞳をした可憐な少女。
サニと名乗る彼女は、ニコニコと微笑む。

「・・・シリカ、か」

ぼそ、とメノウが呟く。
するとサニは嬉しそうに飛び跳ねた。

「わぁ、もしかして私の並行人格をご存じなんですか?!
ね、聞きました、お父さん?!」

「サニ。仕事中は血縁関係については口にしないよう再三忠告したはずです」

「あぁっ、すみません、うっかり」

書類を見つめてこちらに顔すら向けない青年は、はぁ、とため息をついてから姿勢を正す。

「厄介な人達が紛れ込んだものです。
・・・ご挨拶が遅れました。
私がアデュラリア・ヴァイス。アドでもヴァイスでも、好きに呼んでください」

そう名乗る彼は顔立ちがサニとよく似ている。先の通り、2人は父娘なのだろう。
雪色の髪をした中性的な青年だ。

「先程内線で聞きましたが、オズとリアンの知り合いだそうで?
ともすれば、ここへ来た理由も明白ですね。
どうやら2人共“そちら”で大暴れのようで」

「いや、正確にはリアンの方が、だな」

アドは薄く笑う。
面白おかしいというよりかは呆れたような意味を含んでいそうだ。

「君はオズやリアンの知り合い、という事で間違いないか?」

「えぇ。両者とも、私の上司にあたります。
もうずいぶんと長い間お会いしていませんがね。
サニが生まれるよりも前から、ずっと不在ですので」

オズとリアンは少なくとも十数年はジスト達の世界にいるはずだ。
もはや過去の人物と言えなくもないが、籍自体はここに在り続けているらしい。

「でもドクター、これで生死不明だったオズさんとリアンさんがまだ生きてるってわかりましたね?!
ここの世界の人でも、別の世界で生きられるっていう証拠ですよ! すっごい!」

「サニ、口を慎みなさい。
ここに来ている方々は“トナリ”の人なのですよ」

「あっ、すみません・・・。
ご気分害されてたら・・・」

すごすごと俯くサニに、ジストは気にするなと声をかける。

「それで、現状オズとリアンの両名はどのように?」

「もうすぐリアンは我々の世界を乗っ取るつもりだろう。
オズはそれを止めようとしている」

「ほほう、あの2人が仲違いですか。それは面白いですね」

アドは他人事のように笑う。
仕方あるまい。彼もまた“ここ”の住人なのだから。

「単刀直入に聞こう。
リアンがトナリを掌握しようというのは、この研究機関の意志か?
それともリアン個人の意志か?」

「どちらとも。
今でこそ我々は並行世界の存在を認知していますが、その第一発見者はリアンでした。
別の世界なんて、当時の我々が簡単に信じるとでも?
その当時、リアンはこの機関でも特に異端な研究者として有名でした。気が狂っている、とね。
ところが彼自身が並行世界を感知する方法を確立してからは、手のひらを返したかのように天才呼ばわり。
御覧の通り、この世界はこの有様ですから。
総勢率いてトナリに移り住む計画が立ち上がったのも、一瞬のうちの事でした」

「やはり、リアンは自分を否定したここの人々を見返すつもりで?」

「それはない。有り得ないですね」

アドはきっぱりと言い切った。

「口振りから察するに、貴方がたは恐らくリアンと少なからず関わった事があるのでしょう。
ならば容易に想像つくはず。
リアンは決して英雄になるために動いているのではない、とね」

ジストの記憶の中に、リアンが本心と思しき感情を露わにしていた覚えはまるでない。
いつも微笑みを湛えており、演じるような表情で、ジストをあらぬ運命に導いてきた。
あの彼が、自分の地位や名誉を欲しいままにしようとしている風には思えない。

「本当に、“気が狂っている”とでも言うべきか。
リアンはただ、結果が欲しいだけなのですよ。自分が定義した理論への答えがね。
筋金入りの学者です。そこに私利私欲は一切ない。
もしもトナリを我々の世界の住民が支配できたとして、リアンに神を崇めるかのような尊敬が集まったとしても、彼は眉一つ動かさない。
どうでもいいのでしょう。どういう訳か彼にはおよそ人間らしい心がない。
ただ物事を1か0かで判断している、機械のような人ですから」

まるで人の皮を被った機械。思い返すだけでゾッとした。

「リアンとオズは旧知の仲で有名な、研究者の双璧とも言うべき人物達。
ですが、当時トナリに渡るのはリアンのみの予定でした。
オズはリアンを引きとめようとしたようなのですが、リアンにとってはそんな情けも無価値なもの。
ただの道具として、オズはリアンに利用された。
以来十数年、2人はこちらに戻ってきていません。
トナリとこちらを行き来する魔力の工面に苦労しているのかもしれませんね」

こちらへ来るだけで数千人分の魔力を使ったのだ。
トナリにおいて、それほどの量の魔力を集めるなど一筋縄ではいかない。

「・・・ドクター・アド。君個人に問いたい。
もしもトナリとこちらが繋がり、誰もがトナリへ行けるようになったとしたら・・・
君は、トナリで生きる事を望むのか?」

アドは無表情で腕を組む。
おとなしくしていたサニがおどおどと、父親とジストの顔を見比べる。

「私は、ここに留まります」

サニが驚いて跳ねた。

「そ、そんな!
ここにいたら世界と一緒に死んじゃうのに・・・?!」

「進み過ぎた技術で世界を蹂躙し、大地を穢し切った片棒を担いでいる自覚がありますので。
私はここで運命を共にします。
同じ事を繰り返すくらいなら、生きている意味などありませんから」

ジストは面食らったようにたじろいだ。
誰もが生きたい、死にたくない、そう思っているものだとばかり思っていたのだから。

「・・・私も残ります。
きっとお母さんも同じことを言うと思う」

サニは唇を噛む。

「サニ、選ぶのは自分です。私がここにいるからといって自分の選択を曲げる必要はないのですよ」

「死ぬのは怖いです! 痛いかもしれないし、苦しいかもしれない。
でも、トナリに逃げたって、きっと私は辛いまま。
私にはトナリにいる“私”と成り代わる勇気なんてない。向こうの私だって、きっと幸せに生きているはずだから・・・」

その終末がいつかはわからない。
数時間後かもしれないし、数十年後かもしれない。
来る日も来る日も、死に怯えて過ごしていく。
年端もいかぬ少女には酷な仕打ちだが、それでも、サニは意思を曲げないらしい。

「如何ですか。少しは判断材料に貢献できましたか」

「・・・そうだな。うん。ありがとう、2人とも」

ジストは頷く。

「わざわざ世界を渡ってこられたのですから、1つ耳寄りな情報をお教えしましょう」

「というと?」

「“飛空艇”というものに、興味はございますか?」




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