灰色の雲が空を覆っている。
今にも空が泣き出しそうで、その少女はなんとなく不安げに窓の外を見つめていた。
今日の空は、まるで自分の心を映した鏡のよう。

「お嬢様、いかがなされましたか」

「あっ、ごめんなさい、・・・です」

教科書を片手にしていた、いかにも教師風の中年の女性は、ふう、とため息を吐く。

「本日のお嬢様は少々上の空でございますね。
これ以上勉強を続けても無意味と判断します」

「・・・ごめんなさい・・・」

「旦那様にご報告して参ります。
しばらく反省なさってください」

女教師はクイッと眼鏡を整えると、唇を山の形に結んで眉間に皺を寄せた。
わざとらしくカツカツと甲高い足音を鳴らしながら、その部屋を後にする。

しょんぼりと俯く少女は、弱々しく膝に触れる。
立ち上がろうとしてみたが、やっぱりその脚は言う事を聞かない。
彼女が座っているのはただの椅子ではない。車椅子だ。
諦めて車輪に手を伸ばし、そっと撫でて転がす。
車椅子はなんの心もなく、ただ事務的に主を目的の場所へ運ぶのみ。

脚が不自由な彼女に合わせて作られた、背の低い本棚。
分厚い一冊に手を伸ばし、両手で抱えて膝の上に乗せて広げる。
本の世界はいつだって味方。辛い時、寂しい時、彼女を空想の世界に誘ってくれる。

彼女のお気に入りは図鑑だった。
たくさんの動植物が描かれた、胸が躍るような一冊。
生まれつき歩く事が出来ない彼女が憧れる外の世界が、その中に広がっている。

それは幼い頃に贈られたプレゼントだった。
この素敵な世界を詰め込んだ宝物をくれたのは、そう、大好きだった人。
今はもういない、優しい人。

「ユーディア、少しいいかしら」

扉の向こうから声がする。
慌てて返事をし、そして急いで広げていた図鑑を本棚に戻そうとする。
片付け終わる前に、扉は開いた。

「あなた、またそれを読んでいたのね」

入ってきたのは、肩に翡翠色のつややかな羽を持つオウムを乗せた貴婦人。

「お母さま・・・」

母だ。
上品に化粧を施した、この屋敷の婦人たる淑女。
彼女は残念そうに眉尻を下げ、車椅子のユーディアに目線を合わせるように少しだけ屈んだ。

「先生が困っていらしたわよ。今日のあなたは集中力がないって。
具合でも悪いの?」

屈んだ母の肩に乗っているオウムは小刻みに首を捻り、真っ黒な瞳をユーディアに向けてくる。
その鳥は、どこか虚無感を抱えている母の心を代弁しているかのようだ。

「ごめんなさい、です。今日は少し、気持ちが晴れなくて。
体調は、大丈夫、です」

「そう。具合が悪くなったらすぐに言うのよ」

「はい、ありがとうです、お母さま」

用件だけ済ませると、母は去っていく。
いつもそうだ。母は、ユーディアの身体は心配するが、心までは心配してくれない。
それに気付いた頃から、ユーディアはより一層居心地の悪さを感じていた。

もう一度、先程の図鑑を手に取る。
最後のページにこっそりと挟んである1枚の写真。
もう色褪せてしまったが、写真の中の世界では、ユーディアは笑顔に溢れている。
幼い彼女の隣に映る、彼女と同じ、鮮やかな白金色の髪の青年。

「・・・お兄さま」

淡い思い出に浸るように、彼女の細い指が“彼”の輪郭をなぞっていると、今度は別の声が扉の向こうからした。
屋敷の使用人の声だ。

「お嬢様、旦那様より伝言です。
これからジスト様がいらっしゃるので、身形を整えよ、との事です」

「えっ・・・、ジストさまが?!」

ずっと悲しげに沈んでいたユーディアの表情が仄かに緩む。
――もう1人の“大好きな人”が、会いに来てくれたんだ。






-254-


≪Back | Next≫


[Top]




Copyright (C) Hikaze All Rights Reserved