クレイズの研究室には鍵がかかっている。
カイヤは躊躇いなく持っていた鍵を差し込み、扉を開けた。

「博士!! もしもーし!!
ボクですよ!! お出迎えもなしですか?!」

相変わらず雑多な室内。
目につくところにクレイズはいないようだ。
崩れ落ちる本をかわしながら奥の部屋を覗くと、覚えのある背中が見えた。

「博士っ!!」

「わぁっ!!」

今の今まで気付かなかったのか、クレイズは椅子に座ったまま、持っていた分厚い本を落として慌てる。

「な、なんだい?
・・・おや、カイヤ君。お帰り」

「今更ですかっ!!
もう小一時間アンリ先生の有難いお話を聞いてきたところですよ!!」

この前は随分と衰弱していた彼だが、今は元通りのようだ。
しかし若干顔色が悪く、やつれている。

「も~・・・。またまともに文化的な生活してないんでしょう?
博士ってボクがいないとすぐこうなるから・・・」

「アンリ君にも毎日ドア越しに怒られていたところさ。
・・・で、どうしたのかな、揃いも揃って」

「どうもこうも!
とんでもない話を聞いてきたばっかりですよ。
ねぇ、姫様?」

ジストは頷いて前に出てくると、右手をクレイズに見せた。

「へぇ、随分頑張って集めたんだね」

「何やら多忙のようだが、確認させてほしい事があるのだ。
・・・リアンの事で」

クレイズは苦笑いし、改めて椅子ごとくるりとこちらを向いた。
もはや隠す事もないのだろう。観念したように彼はジストの問いを待つ。

「残る王家の指輪は、オリゾンテ王家のものとロンディネ王家のものだ。
オリゾンテ王家のものはラズワルド殿が持っているはず。
行方知れずのロンディネ王家の指輪だが・・・」

「レムが持っていると思うよ。
元々はそこのシェイド君のものだったけどね」

「やっぱり、僕の指輪・・・」

カルセはあわあわとうろたえる。

「よし。指輪の事はわかった。次だ。
・・・リアンは今、“異世界を渡る”能力を持っているか?」

クレイズは薄く笑う。
その笑みが意味するところは計り知れない。

「世界を渡るためには準備がいる。
そう易々と行き来できるものでもないのさ。
つまり、今のレムは“まだ”渡れない」

「その準備というのは一体?」

「多大な魔力の回収さ。
どんなに才能がある人でも、結局は一個人の力だけで世界を渡る事はできない。
僕にもできないよ。もちろん、レムにもできない。
だから、世界を渡るために必要な魔力を集める必要がある。
それもすんなり集まるほどの量じゃない。一大プロジェクト並だ」

クレイズは机の上に転がっていた試験管を手に取り、弄ぶ。

「今から8年くらい前かな。
ダインスレフの機関で行われた非公式の人体実験の話は、もう聞いただろう?
アレはね、レムが世界を行き来する魔力を集めるための企画だったのさ。
レムにとっては、この世界の人類なんて、使い捨ての動力でしかない。
人体実験を行って、より優れた魔力を引き出せる人材を集めて、自分の燃料にしようとしていたのさ」

とある薬を使ってね、と彼は試験管を振る。

「“僕達”の世界から持ち込んだ薬で、この世界にいる人達の魔力を増幅させる。
いくら美しく清らかな世界だからとはいえ、人口には限度ってものがあるだろう?
だから、1人1人の魔力を増幅させて、動力に必要な人数を減らす。
言い換えれば、動力用の人間を作っていた、という事になるかな。
クラインが作ったホムンクルスも、元はそういう用途だった。
とはいえ量産が難しいからね、彼らは。元いた世界ではホムンクルスと似たような存在を量産していたんだ。
けど、この世界は何もかもが僕らの世界から遅れている。ホムンクルス量産までの時間が惜しい。
だからレムは、生きているこの世界の人間を使う方に傾いたわけだ」

ただ無言を貫いて隣に立ち尽くすメノウの心境は手に取るようにわかる。
そんな人でなしの実験によって妻を奪われたのだ。無関心でいられる方がおかしい。

「かつて行われた人体実験に用いられた薬。それは元来、僕の弟が発明したものだった。
善意の塊のような薬剤だったはずなんだ。身体が弱った人の回復をちょっと後押ししてあげるだけの、害のないもの。
その薬の技術を奪われ、発明者の僕の弟は殺され、クラインがそれに手を加え、凶悪な薬が出来てしまった。
人間1人の魔力の容量は、生まれ持った量がすべてだ。消費すれば回復はするが、その容量自体が増減する事はない。基本的にはね。
それを無理やり増大させる薬だ。体がおかしくなるのは当たり前だろう?」

「は、博士さん、あの・・・」

サフィが嫌な予感を隠せずにおずおずと声を上げる。

「ひょっとして、白の国のカルル村の井戸に入れられた薬は・・・」

「そういう事。あれはごく薄められていたみたいだけどね。
大々的にやってしまうと、世間に機関の異常が知られてしまうだろうから。
少量で試してあの村の住人の適性を見ていたんだろう。
正直なところ、手頃な規模の村であれば、別にカルル村でなくてもどこでもよかったとも言える」

かつて謎の病に苦しんでいた小さな村を思い出す。
リアンの計画通りだったとしたら、あの村の住人は“動力”にされていたところなのだろう。

「もはや薬とは言えない。あれは毒だ。
人によって合う合わないがあってね。合わない人が服用すると、死ぬほどの痛みが全身を襲って、精神にも異常をきたす。
こればっかりは飲ませてみないとわからない。
・・・“クレイズ”には合わなかったみたいだ」

カイヤの父の今際を思い出すかのように、ここにいるクレイズは遠くを見つめるような瞳をした。

「博士。ボク、あの村にアンリ先生が解毒剤を持って行くのについて行ったんですけど。
あんな風に、その毒を治す薬ってあるんですか?」

「ないよ。あれも解毒剤とは言えない。ただ、一時的に毒を中和させるだけのものさ。
カルル村の井戸は幸い濃度が薄かったから何とかなったけど、そのままの純度であの毒を服用したら、中和剤を死ぬまで飲み続けなければならない。
服用したら最後、合うか合わないかで運命が変わる」

文字通り死ぬ思いをして力尽きるか、リアンの動力として消費されるか。
あまりに惨い二択だ。

「王女君。指輪を集めている君の事だから、もうレムに対する覚悟はできているんだと思うけど。
・・・本当にね、レムはもう人並みの感性では動いていない。
もはや僕にも、彼を止められる術はない。
僕の知識を上回る規模の野心を、彼は持っている。
彼に連れられてきた身でありながら何も出来ずに・・・すまないと思っているよ」

「いいや。君は私に、リアンに抗う術をこうして教えてくれている。
きっと私がこの世界を守ってみせる。大丈夫だ」

「・・・そうか。君は実に、純粋だ。
でもね、王女君。1つ伝えておきたい事がある」

クレイズの視線がどこかへ泳ぐ。
ジストと目を合わせるのを躊躇っているかのようだ。

「君が“君自身”を知った時、絶望するかもしれない。
これから先は、年端もいかない君には荷が重すぎる旅になると思う。
・・・でも、僕は君の選択を一切責めない。君の結論を、僕は甘んじて受け入れよう。
君が信じる道を行きなさい。
誰かの為ではなく、君自身の為の道を」

「クレイズ。君は私の事を知っているのか?」

「知っている。
だがそれは、君自身で掴みとってほしい真実だ。
僕が介入する事で、いたずらに君の道を歪めたくはないから」

それは彼女を想っての判断なのか、臆病者の選択なのか。
クレイズは後者だと自嘲するが、ジストは彼が見せた本心の欠片を信じる方を選んだ。






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