クレイズの研究室とは違い、アンリの研究室は小ざっぱりと片付いている。
マメな性格なのか、多少の年季が感じられる机の上にも埃1つ見当たらない。
全員が適当な場所に座ったのを見、ジストは手袋を外した。
お茶を出そうと湯呑の数を数えていたアンリは、ジストのその仕草にきょとんとする。

「貴方のそれは・・・」

「知っているのか。なら話が早い。
これは王家の指輪だ。
今、私の手元に3つの指輪がある。
アルマツィア、ブランディア、そしてミストルテインの指輪だ」

アンリの代わりにお茶を用意するカイヤも、改めてそれを見てゴクリと息を飲む。
――ごく自然に棚から茶葉を出すところを見ると、カイヤはこの部屋に何度も来た事がある様子だ。

「5つの指輪、2人の聖女。
ダークエルフの長に、その話は聞いた。
その上で、考古学者である君に問いたい。
――“邪なる者”の正体を」

アンリは表情が薄い無機質な青年のようだが、ジストが発した言葉に少々険しい面持ちを覗かせる。

「先にお伺いしておきましょう。
貴方はそれを聞いてどうするつもりですと?」

「“それ”を復活させんとする者がいる。その者を止める。
その為にはこの命、惜しくはない!」

「なるほど」

頷いたアンリは、机の引き出しの奥から地図を持ってくる。
ジスト達の前にそれを広げて見せた。

「む?
この世界地図は・・・」

「察しがいい。これは世界に1枚だけ存在している世界地図です。
巷で出回っているのは少々古いもの。この地図は最新のものです。
極秘ですよ。僕がこれを持っていると口外しないように」

どういう事かと不思議に思っていると、カイヤがお茶をすすりながら得意そうな顔をする。

「ふふん。実はアンリ先生って地図制作者なんです。
世間で使われている世界地図は、アンリ先生がつくったものなんですよ」

「まぁ、趣味の副産物なんですけどねぇ」

偉大な功績のはずが、当の本人は特に何とも思っていないらしい。

「この地図を見ていただければわかるかと思いますが。
5ヶ国の配置の真ん中に、大きな穴があるのです。
人里離れたこの場所に至った人類は、恐らく僕以外にはいないでしょうな。
外周をぐるりと一周観察したところ、穴の向こうは奈落の底のような暗闇でした。
まったく苦労したものですよ。足にしていた馬でさえ逃げ出す超高濃度の魔力帯でしたから」

この若者は一体どれほどの度胸を持っているのか。
さすがのカイヤも初耳だったらしく、あからさまに引いた顔をしている。

「貴方がいう“邪なる者”。それはこの谷の奥深くに眠っていると考えられます。
いや、さすがに確信はないですよ? あくまで配置から推測しているだけですので。
僕だってまだ命が惜しいですから。本当は飛び込んででも調べたかったところですがねぇ」

「こんな場所がこの世界に存在していただと・・・?
俺は聞いた事もないな。
傭兵、何か知っているか」

旅慣れているであろうメノウに尋ねるが、彼は首を傾げる。

「いいや。さすがにここまでは知らん。
ていうかそこ、方向感覚が狂うとかで一般人は立ち入らない魔境やって昔聞いた事あるで」

「仰る通り。凄まじい魔力で覆われているので、よほど魔力と方向感覚に自信がある人でないと突破できないでしょうな」

裏を返せば、アンリはそういう人材だという事か。
はたまた、見た目に寄らず命知らずの無鉄砲者なだけなのか・・・――

「そんなにたくさんの魔力が溢れているって事は、そのヨコシマナルモノ?とかいうのは魔物か何かってわけ?」

アンバーの疑問は尤もだが、アンリは首を横に振った。

「この奈落には時空の歪みがある。まさかそんなものを計測する機械などこの世界にはありませんから、これも想像でしかない。
実験的に石を奈落に投げいれたところ、通常なら一直線で落ちていくものが法則性のない不可解な動きで行ったり来たりしながら落ちて行った。
なので、僕はこれを時空の歪みだと仮定します。
単なる魔物が時間や空間を捻じ曲げるほどの力を持っているとは思えない。
何らかの異空間・・・そう、例えるならば、どこか別の時間と空間に繋がる“ゲート”のようなものがあると、僕は推測します」

ゲート、つまりどこかへ通じる入り口があるという事。

「え、まさか、異世界的な・・・?」

「それを認めると、この世のありとあらゆる定説が崩れる可能性があるので、僕は半信半疑といったところですが。
もしかしたら、そういうものもあるのかもしれません」

異世界に繋がるゲート。
それを封じている5つの指輪を狙うレムリア。

「・・・そういう事か・・・」

ジストは呟く。



「アンリ。もう1つ尋ねたい。
ダークエルフ曰く、この世界は一度崩壊したと。
それは真実か?」

アンリは頷く。

「えぇ。それについては事実です。
この世界の歴史は、ある節目で切り替わっている。
――“僕達”が生まれる“前の世界”があったんです。
暫定的にそれを旧世界と呼びますが、その旧世界というものは、今のこの世界とはだいぶ環境が異なっていたようで。
召喚術をご存じでしょう?
実はその才能は旧世界の時代にはメジャーだった能力なんです。
つまり、今現在召喚術を扱える人々は、旧世界の時代から生きる人々の末裔という事になります」

皆、無意識にカルセに視線を向ける。
それに気づいた彼は、なんとなく頬を掻いた。

「旧世界と現在との節目に、“邪なる者”と呼ばれるものが世界を壊している。
人のような呼び名ですが、これは恐らく、口伝するうちに多少脚色され、おとぎ話のような扱いになったからでしょう。
これも僕の推測で申し訳ないのですが、旧世界を壊したのは人ならざるもの。
何か自然災害のような、人力ではどうしようもない現象だったのだと思います。
ですが、実際にそれを引き起こしたのは恐らく人の手。
先程説明したゲートが過去に一度開き、そこから未曾有の大災害が起きたという論が今のところの歴史です」

「・・・つまり、もう一度そのゲートが開いたとしたら」

「また起きるのでしょうねぇ。
世界を創りかえてしまうほどの大災害が」

アンリはジストの指輪を見つめる。

「王家の指輪。その1つ1つには大した力はない。
ですが5つ集まると、何らかの共鳴が起きて魔力が増幅される。
今の世界はその指輪同士が共鳴した魔力でゲートが閉ざされている事で保たれている均衡。
指輪が1つでも失われると、ゲートは再び開く。
その時具体的に何が起きるのかは・・・わからないですね。
旧世界を壊すほどですから、この世界にいる限り、その大災害から逃れる術はないと考えるのが現実的でしょう」

淡々と彼は説明するが、ジスト本人は焦燥感に駆られる。

「アンリ先生。
指輪を失うっていうのは、具体的にどういう状態を言うんですか?」

「そうですねぇ。
指輪そのものが壊れたとしても、魔力共鳴の機構は残り続けるはず。
“この世界”そのものから存在がなくなる、という事だと思います。
例えば、異世界に持って行かれて、この世界では存在しないという状態になる、とか。
それが出来る人がいるのかどうかまでは、僕にはわからないです」

――クレイズに聞くしかない。きっと彼なら、心当たりがあるはずだ。

「アンリ。感謝する。
ここからは私の仕事だ」

「お役に立てたならば幸い。
カイヤさんをよろしくお願いしますね」

「・・・またそうやって子供扱いする~・・・」

次は隣の部屋に引きこもる賢者への用事だ。






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