か細い三日月が霞みに揺れる。
ゆっくりと開けた瞳に映ったのは、懐かしい幼馴染みの横顔だった。
「コーネル・・・?」
窓の外を見つめていた青い瞳がこちらを向く。
その目が見開いた。
「ジスト・・・?!
ジスト、気が付いたのか?!」
ぱちぱち。瞬きをする。
はて、私は一体どのくらい寝ていたのか・・・――?
「ジスト、何ともないか?
傷は痛まないか?」
「何を・・・?
私はこの通り、ピンピン・・・」
言いかけて、意識が途切れる寸前の激痛が記憶に蘇る。
思わずその痛みが走った部分を押さえるが、特に変わったところはなさそうだ。
ゆっくりと起き上がり、ジストは周囲を見回す。
そこにいるのは、目の前のコーネルと、少し離れたところで安堵した笑顔をしているカイヤと、ソファから立ち上がったカルセ・・・――
「メノウは?
それにサフィとアンバーはどこへ?」
ひゅん、と室内の空気が冷たくなった気がした。
「お前・・・何も覚えていないのか?」
コーネルは暗い顔を覗かせる。
「あの傭兵がお前をこんな目に合わせた。
残りの2人は追い払った。
だから言っただろう、傭兵など野犬にすぎないと」
「メノウが、私を・・・」
ぽつりとジストは呟く。
実感が湧かない。しかしどうだろう、ここにメノウはいないという現実だけは確かに存在している気がする。
「よかったです、姫様・・・。
聞いて下さいよ。王子がアンバーさんと大喧嘩して、アンバーさんがサフィを連れて出て行っちゃったんです。
あれからもう何日経ったか・・・。あの2人、もう戻ってきてくれないかもしれないです」
ジストはいつになく無表情を貫く。
「俺はただ・・・!」
「いや、いい。コーネル」
言い返そうとしたコーネルをジストは制止した。
「わかる。わかるさ。
メノウが私を殺そうとしたというのなら、君はきっとアンバーやサフィにも恨みを向けるだろう。
君はそういう奴だからな」
ジストは自分の胸に手を当てる。
「私は少し・・・気を許しすぎていたのかもしれないな・・・。
そうだ、傭兵とはそういうもの。
よりよい主がいるのであれば、そちらに流れるのが道理・・・」
「ち、違うんですよ、姫様!!」
カイヤがベッドの傍に駆け寄る。
「ハイネさんです!!
メノウさん、娘さんを人質にとられているのかもしれないんです!!」
「ハイネだと・・・?」
「情報の出所は胡散臭いんですけど、そう考えると辻褄が合うっていうか・・・。
姫様、何か知りませんか?
例えば、メノウさんが誰か知らない人と会話していたとか、様子がおかしかったとか・・・」
「私が襲われる前の夜だ。
彼はどうも変だった」
やっぱり、とカイヤは眉をひそめる。
「そうか・・・そういう事か。
あの時私は彼にどうしたのかと様子を伺った。でも答えはなかった。
当たり前だ。その時にはもうきっと、私を殺すつもりでいたのだろうから」
「くっ・・・!! 聞けば聞くほど憎い・・・!!
ジストを主にしておきながら、躊躇いもなく牙をむけるなど・・・!!」
「躊躇いは、あったんじゃないかな」
カルセが呟く。
「メノウさん、すごく強い人だから。
たぶん、ジストぐらいの女の子ならすぐに殺してしまえる。
王子があの時妨害したせいもあると思うけど・・・それだけじゃ、あの人の目は狂わないと思うんだ」
「カルセ・・・それは・・・」
「メノウさんも、本当は・・・助けてほしかったのかもしれない」
でも口には出せなかったんだ。
だからあの人は、1人で何とかしようとした。
ジストを殺さないで、ハイネちゃんが助かる道を、1人で探して・・・――
カルセはそのまま口を閉ざした。
「・・・私は、生きている。
もしメノウがハイネを救うために1人で行ってしまったとしたら・・・
私が生きていると、知られてしまったら・・・――」
彼のすぐそこには“死”がある。
「・・・メノウを追いかけねば。
私はもう大丈夫だ。心配をかけてしまってすまない、3人共」
「傭兵についての事だ」
コーネルは腕を組んでどこか虚空を見つめている。
「次の新月、俺はあの傭兵を殺しに行く。
ジスト、お前はどうする?」
「コーネル、それは・・・!」
「俺があいつを仕留める前に、お前は自分のしたい事をしろ」
「・・・ありがとう」
ジストは外に目をやる。
彼もどこかでこの月を見ているのだろうか。
まだどこかで、彼が無事でいる事を静かに祈る。
その夜が明けた頃、扉を叩く音がした。
剣を片手にコーネルが扉を開けると、そこに立っていたのはラリマーだった。
「おお!ラリマーではないか!久しぶりだな!!」
まるで何事もなかったかのように、ジストがその来客を迎える。
「おい、ジスト。こいつは傭兵・・・」
「えぇ、そうね。わかっているわよ、王子サマ。
けど、覚悟の上で来たわ」
ラリマーは長い緑髪を払うと、真剣な眼差しを向けてきた。
「イヤな予感がしてね。ちょっとブランディアのオアシスまで行ってみたの。
そしたら案の定よ。
メノウもいないみたいだし、もうあんた達も気付いているんでしょうけど」
「ハイネの話か?」
ジストの問いに、彼女はコクリと頷く。
思い詰めたような彼女を放っておけず、ジストは傍の椅子に彼女を招いた。
「いつかこうなる日が来ると思っていたわ。
メノウは目立ちすぎたのね。そして、大事なものを作りすぎたの。
こうなる事が嫌だからって、彼はずっと孤独に生きていたのだから」
ラリマーは一呼吸置くと、鞄から紙を1枚取り出した。
各地のギルドでよく見かける傭兵向けの案件を示したチラシのようだが、そこにはジストの名が綴られていた。
「これは・・・私か?」
「そう。傭兵には“表の仕事”と“裏の仕事”がある。ある程度のベテランだけが、“裏の仕事”の内容を拝む事ができるわ。
裏って言うくらいなんだから、素人には手におえない、とても危険な仕事。
ねぇお姫様。薄々勘付いてはいたと思うけど、あなた、裏では立派な賞金首なのよ」
ジストはぼんやりと以前の記憶を思い起こす。
そう、あれは確かメノウと初めて会った日の事だ。
彼はジストの首には大金がかかっている、と言っていた。
何も知らなかった当時は笑い飛ばしていたが、この現状を思うとさすがに言葉に詰まる。
「つまりあの傭兵は、この大金のためにジストを殺そうとしたっていうのか?
くだらない。心底卑しい」
「そう考えるのは早計ってものよ、プリンス。
傭兵の仕事は時々依頼主からの指名で発注される事があるわ。
それで、気になって調べてみたの。
えぇ、予想通り・・・メノウは、“亡国ミストルテインの王子暗殺”っていう依頼の発注者から直接指名を受けてた。
依頼主の名は機密事項って事で塗り潰されていたけど、恐らくはメノウの身辺をある程度知っている人。
・・・強いていうなら、“機関”ね」
機関。
胸がざわつく。
「私の調査で判明したのは2つ。
1つは、どこかの筋でお姫様と同行しているのがバレたメノウを、彼が最も大切にしている“娘”という存在を引き換えに暗殺を依頼した事。
もう1つは、・・・メノウは、表向きだけお姫様を“殺して”時間稼ぎをして、その隙にハイネちゃんを助けようと機関へ向かった事。
お金なんてどうでもいいのよ。彼が何よりも優先するのはハイネちゃんの命なんだから」
ジスト達は揃ってカルセに目をやる。
あまりにも、彼が言った通りだったからだ。
「で、その機関っていうのは・・・結局なんなんです?
メノウさんとどう関係が?」
カイヤが尋ねると、ラリマーは頷いて足を組んだ。
「メノウの奥さんの話。聞いたわよね?
実はね、その彼女。かつて、機関の“実験”に巻き込まれて命を落としたの」
「ジッケン・・・?」
全員が首を傾げる。
「ハイネちゃんが生まれた頃だから・・・今から8年くらい前かしら。
ダインスレフに疫病が流行ってね。国立医療機関・・・つまり、“機関”には多くの患者がなだれ込んだそうよ。
その患者の治療に当たっていたのが、“クライン・レーゲン”という人物。
今は副所長らしいわ。出世したものだわね」
「ちょっ?!
れ、レーゲンって・・・」
カイヤが慌てる。
「博士の・・・博士の名字と一緒だ! い、いや、ボクもですけど・・・。
その人、機関にいるんですか?!」
「そうよ。
まぁ、表向きはずいぶんと評判がいい医者だけど、実際、彼は8年前にとんでもない事をしたって噂があるの」
――とんでもない事。
「さっき流行り病の患者が押し掛けたって言ったでしょ。
もちろん、メノウの奥さんもその中の1人。
でもクラインという医者は、その患者達を使って、どさくさに紛れて別の実験をしていたんだって噂。
・・・新薬の実験よ。とっても危険な、ね」
その実験の事故で、メノウの妻――アガーテは死んだ。
「だから、メノウにとって“機関”はとても憎い相手なの。
嘘みたいでしょ? 普段テキトーそうに見えるものね。
無理もないわ。あいつ、この話はたぶん私にしかしてないもの」
妻の仇とも言える機関に娘という弱味を握られ、彼は・・・――。
「この話を私があんた達にした意味、わかってもらえたかしら」
彼を救って。
ラリマーはそう呟いた。
「私は傭兵で顔が割れているから、表立って動けないの。
だからお願い。代わりにメノウとハイネちゃんを救ってほしい。
頼む事しかできないなんて情けないけど、・・・メノウの仲間だったあんた達を信じているから。
私は、彼を失う事を考えたくないわ」
「貴様がどう思っていようが俺達には関係ない。
必要とあらば即座に斬る。
少なくとも奴は裏切り者だ。慈悲をかけるほど俺は甘くない」
ただ、とコーネルは続ける。
「・・・決断を下すのはジスト、お前だ。お前にだけ、その権利がある。
よく考えろ。何が一番大事なのか、何が善で何が悪なのかをよく・・・な」
「わかった。
・・・ラリマー、大丈夫だ。私の答えはもう決まっている」
「ありがとう、お姫様。
本当に・・・ありがとう」
次の新月、未来が決まる。
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