恐る恐る顔を覗かせた宿の主が告げた客人の名に、ジストは驚いて跳ねる。
すぐさま駆けつければ、茶毛の馬が引く車から優雅に男性が降りてきたのだった。
「アクイラ家王子、ジスト殿下。やっと見つけましたぞ。
ご無事で何よりでございます」
深々と頭を垂れた者は、白髪混じりの金髪をした初老風の男だった。
その身なりはまさに貴族然とした高級そうなもので、この田舎らしい集落にはとても似つかわしくない目立つ容姿をしていた。
「フリューゲル公ではないか!
何故ここに?」
「アルカディア公より通達が。
我々フリューゲル家は、殿下を保護致します為に馳せ参じました。
お怪我などありませんか?」
「顔を上げてくれ、フリューゲル公。
私はこの通り無事だ」
下げていた顔を上げたその男。丁寧に揃えられた髭に触れながら、はて、とわざとらしく首を傾げる。
「殿下? その後ろにいる卑しい野良犬風情は何者ですかな?」
「野良犬?」
振り返れば、呆れ顔のメノウが立っている。
「犬などいないぞ?」
「ゴホン。・・・殿下、まさかとは思っておりましたが・・・。
あの情報は確かなようですな」
フリューゲル公は、黒縁の眼鏡の向こうの茶色い瞳をしかめるように細めた。
「アルカディア公令嬢、ロッシュ殿の斡旋で傭兵が護衛についたとか、何とか。
・・・ロッシュ殿の意向もよくわかりませぬが、それ以上に、素性もわからないそんな男が殿下の護衛など言語道断。
殿下、我々と参りましょう。この為に、最高級の足を持った馬を揃えて参ったのです。
王都カレイドヴルフまで行かれるとの事で。お送りいたしましょう」
「何を言っているのだ?」
ジストは心の底からの疑問を口にした。
「殿下、貴方様は混乱していらっしゃる。傭兵とは野良犬も同然、人類の底辺です。
あぁ、悪い夢だ。こんな事を亡き王がお知りになったら、天上で嘆いてしまわれる。
さ、私と行くのです。王都への使者の務め、実に勇敢で尊敬に値する。大義を果たされたその時は、我がフリューゲル公爵家にて羽を伸ばされるといい。娘のユーディアも殿下の訪れを心待ちにしておりますぞ」
そう言って公爵は手を伸ばすが、すでにジストが彼を見る目は冷め切っていた。
「フリューゲル公。申し出は有難い事この上ないが、私はこの者と行く」
「なんと?! 殿下、気が狂れられたか!」
「それはこっちの台詞だぞ。
この者は私をここまで守ってくれた優秀な戦士だ。彼は私が雇った傭兵だ。
その契約は果たす」
「契約など、そんな下賤な者には適当に銅貨でも投げ渡して終えてしまえば良いのです。
殿下、貴方様はアクイラ王家のご子息なのですよ。ご自分のご身分を・・・」
「その子息が!
・・・私が、彼と共に行きたいと言っているのだ。聞こえないか、フリューゲル公!」
ジストの荒々しい声に、集落の住民がちらちらと顔を覗かせ始める。
ぶるぶると拳を震わせる公爵の隣に控えていた兵士が、周囲に目をやってから耳打ちした。
「公爵様。これ以上大事にしてはフリューゲル家の名目に関わります・・・!」
「くっ!」
恨めしそうに爪先で地面を蹴る公爵は、何を言われてもただ無言であり続けるメノウに向かって睨みを飛ばす。
「厭らしい、汚らわしい、底辺の野良犬め。
殿下の身を危険に晒してみろ、ミストルテインで公開処刑にしてやる!」
吐き捨てるようにそう言うと、公爵は馬車に戻っていった。
その場にいた兵士は形式的な会釈をし、馬をひいて集落から去って行った。
部屋に戻ってきても、ジストはあからさまにムカムカと腸を煮やしていた。
「なんという態度だ。
前々から目に余ってはいたが、ここまでとはな!」
ふんっ、と鼻息を荒く愚痴をこぼす彼女を見ても、メノウは苦笑いをしているだけだった。
「メノウ! 君も何かしら言い返さないか!
どうしてずっと黙っている!」
「まさか。
あそこで真に受けて言い返しとったら、ミストルテインまで連れて行かれる前に打ち首やろ」
くいくい、と親指を首元で左右させて彼は言う。
ジストは不思議でたまらなかった。目の前であれだけ理不尽に罵倒されたら、誰だって拳の1つや2つ飛ばしたくなるだろう。
「な、姫さん。これでわかったやろ。傭兵が、世間一般の目でどんなモンなんか」
「なんて勝手な押し付けだ。傭兵の皆が皆そういうわけではないのに」
「姫さんはえぇ人やね。ワイも長らく傭兵やってきたが、姫さんみたいな雇い主は初めてやわ」
さて、と彼は武器を背負う。
「あの何とか公爵の目の前で姫さんに宣言されちゃ、ワイも手が抜けんなぁ。
ほら、そろそろ行くで。青の国」
彼は至って普通だった。大人らしい理性的な対応なのかもしれないが、ジストにはまた違って見えた。
――彼は、いろいろ諦めてしまっているのではないだろうか。
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