2人は薄暗い森の中にいた。
見上げても、鬱蒼とした木々が空を覆ってしまっている。時刻はそろそろ夜になる頃。完全に日が落ちてしまう前に抜けなければ、今日もまた野宿だ。
「この森は深いのか?」
前を行く背にジストが声をかけると、煙草の白い煙をユラユラと漂わせるメノウは面倒そうにチラリと目をやってくる。
「なんや、疲れたんか?
休んでもえぇけど、これ以上遅れたらまた土くれの寝床やぞ」
「では、今歩みを止めなければこの森もすぐに抜けられるのだな?」
「姫さんの気合い次第やね」
よし、と意気込んだジストは、急に立ち止まったメノウを追い抜いてしまう。
「なんだ?」
「・・・やっぱり来やがった」
「何が・・・――」
手にしていた彼の煙草がシュッと燃え尽きる。
何事かと丸い目をするジストの外套をぐいっと引き寄せ、メノウはあさっての方向に見慣れない黒い武器を構えた。
「それは・・・?」
「耳塞いどれ!」
訳も分からず両耳を両手で塞いだと同時に、パンッ!!と派手な破裂音が鳴る。
思わず身を竦めて目を瞑ったジストは、その音の反響が消えたところで恐る恐る片目ずつ開く。
ガサッ、と草が揺れる音がした。
「な、なんなのだ?!」
「はっ。王族の護衛にしちゃあ何とも緊張感あらへん思うたら・・・
いよいよお出ましってか」
静かに、それでも確実に聞こえてくる第三者の足音があった。
暗くなり始めた森の闇から浮き出るように現れたのは、黒く長いコートに身を包み、飾り気のない仮面を身に着けた者だった。
「だ、誰だ・・・?」
その問いかけの答えとでもいうように、加えられた大きな亀裂からパラパラと仮面が砕けて落ちていく。
半分欠けた仮面の向こうから覗いた顔は、薄紅の瞳をした青年のようだった。そろそろ空に浮かぶだろう明星を彷彿とさせる白金色の髪が夜風の中で繊細に光り、なびく。彼の瞳にはどこか覚えがあるような気がしたが、ジストにはそれがどこでの記憶だったか曖昧だ。
「お見事ですね。出来のいい番犬を雇ったとは聞いていましたが、これ程とは」
青年は、残っていた半欠けの面を外し、地面に投げ捨てて打ち砕いた。
「御託はいい。何の用件や?」
威圧的なメノウの言葉に微塵も臆せず、青年は長い袖ですっぽりと隠れた手から短剣を覗かせた。その行動が示す目的は、ただ1つだ。
「姫さん、こいつが誰だか知っとるか?」
「いいや、私の記憶には・・・」
言い終わる前に、青年はフフッと口元を緩める。
「大概、私の顔は今際の光景です。
では、お手合わせ願いましょうか・・・」
そう言うや否や、青年は目にも止まらぬ速さでメノウに襲い掛かる。青年が持つ短剣は、メノウが持つ大剣では分が悪い。それを瞬時に判断したのか、背負う大剣には手を伸ばさず、持っていた黒い不思議な武器で刃を弾き応戦する。暗くて良く見えなかったが、先程破裂音を発したその武器は恐らく遠距離向きのものなのだろう。また同じような音を立てる事はなく、あくまでも盾として使っているようだった。
青年の素早さは人並み外れていた。次々に短剣を繰り出し、目の前の標的の首を掻き切ろうとうねる。優雅で、それでも殺意に満ち溢れた舞にも見える。その動きは目で追う事も厳しいものだったが、それよりももっと驚くべきは、その動きに合わせて相手をするメノウだった。沼地での一件で随分と戦闘に慣れているという事にはジストも気付いていたが、刃物を持つ相手に素手で挑む精神には驚くより他にない。短剣の刃をかわしたその勢いで、青年の腕をさっと捕えてしまったのである。青年の華奢な腕を躊躇なく捻り上げたメノウは、痛みで手放した青年の短剣に目をやる。
「毒の刃か。どうやら遊びでもあらへんみたいやね」
「私は何も吐きませんよ・・・どんな仕打ちを受けようとも」
腕が痛むのか多少上ずった声ではあったが、青年は微笑んだままだった。
「端っから期待しとらんわ。
誰の依頼かは知らんが、まぁ、別の奴が来たらまた捻ってやる」
ぱっと手を放すと、青年の腕が力なく垂れ下がる。
「それは慈悲か慢心か・・・?
ふふ、後悔したって知りませんよ・・・」
不敵な笑みの瞳を背に投げた彼の髪が流れ落ち、耳が露わになる。
それを見たジストは驚いた。人間とは違う、尖った耳をしていた。
「・・・エルフか。
ったく、こんなロクでもない仕事しよって。同族が泣くんやないの」
「知った風な口を」
冷たくそう言うと、青年はよろよろと立ち上がった。
「初めてでしょうね。私の記憶を持つ、生きた“標的”は」
現れた時と同じように、闇の中へ溶けるように去っていく。
後は追わなかった。
呆然と見送るジストの隣で、メノウは何事もなかったかのように煙草をふかし始めた。
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