アンリは料理が上手だ。
それは昔からそうで、クレイズとカイヤが暮らす研究室によく差し入れで持ってきてくれていた。
クレイズは偏食家で、好き嫌いがそこらの子供よりも尖っていたが、何故かアンリの差し入れだけは「美味しかったよ」と必ず褒めていたという。
カイヤも子供の頃はよくアンリの手料理を食べていたものだ。
幼少期は病弱で小食だったカイヤのために、何も言わずともカイヤが食べられそうな切り方や味付けを模索してくれていたようにも思える。

今日もそうだった。
今日彼が持ってきた煮物は、素朴で懐かしい味わい。
ニンジンが細かく刻まれているのを見たカイヤは、「私もうニンジン食べられますから!」と抗議しつつ笑ってしまった。
たぶんそれは彼もとっくに知っている。だから、今日細かく刻まれたこのニンジンは遊び心だ。カイヤが笑って話題に上げるのを狙っていたのだろう。
別に元気がないわけでもないが何か話したそうな妹分のために、だ。



二人は他愛もない話をした。
最近あの先生がどうだとか、学長がまた小言を言ってきただとか、そういう。

話題がもうすぐ冬休みだというところに差し掛かったところで、ふとカイヤはアンリに尋ねる。

「今年“も”帰らないんですか? 麓の集落」

麓の集落はアンリの故郷だ。
白の国の端っこにある、地図に載ったり載らなかったりの辺境。
村にこれといった名前もない事から、山の麓にある村――麓の集落、と皆呼んでいる。

うーん、とアンリは唸った。

「姉と鉢合わせたくないんですよ。
あの人、冬の休みは必ず実家に帰っているようで。
たぶん……僕が来るんじゃないかと期待しているのでしょうが」

アンリの姉、ローディ。
今は黒の国のダインスレフ国立医療機関で所長をしている。
所長というものは思ったより暇なのだろうか。
出世した今でも、彼女は毎年実家に帰っているらしい。

アンリははっきりとローディを避けている。
前からそんな雰囲気ではあったが、6年前に痴情のもつれで、アンリは姉であるローディに大怪我をさせられている。
一応その件は和解したようだし、彼の傷も完璧とは言わないまでもすっかり治っていて問題はない。
しかしながら、もともと慕っていたわけではないにせよ、やはりその心には傷が残ってしまったようだ。
彼は大人だから、あまりそういう弱みを見せようとはしない。カイヤの前ならなおさらだ。
でもカイヤも大人になったから、アンリが見せないでいる部分もなんとなく察して深くは詮索しない。

ローディが起こしたあの事件はカイヤも無関係ではない。
というか、アンリが本当の家族であるローディではなく、クレイズとカイヤを選んだ事でこんな事になったのだ。

私がアンリの本当の家族を引き裂いてしまったのではないか。
そんな後ろめたさは否めない。
だからつい、聞いてしまうのだ。里帰りはするのか、と。
彼の中から本当の故郷が消えてしまっていないか確かめるために。

「僕は冬休み中ずっと学校にいるつもりですから、もしカイヤさんがどこか行くなら先輩の面倒は心配しなくていいですよ」

「あぁ、いや別に。そういう予定は特にないし。
ハイネさんは冬休みどころじゃないですし、私はいつでもあの子の連絡を受けられるように待機しているつもりです。
アンリ先生、里帰りはせずともマオリさんと出かけたりしないんですか?」

「あの人は実家に戻るんです、毎年。
あんなに嫌がっていても、結局は切れない縁なのでしょうね。家族っていうものは」

切っても切れない。いい意味でも、悪い意味でも。
それをちゃんと自覚しているかどうかは、心に及ぼす影響が違うだろう。
少なくともカイヤにとってはそうだ。

「ハイネさんが今いる世界に、アイレスという青年がいるそうです。
まぁ端的に言えば私の並行人格なんですけど。
その青年がまた曲者みたいでして。
まるで私の人生から博士とアンリ先生と旅の仲間みーんな引っこ抜いたような、そんな感じの」

「……“もしも”の世界なんだからそりゃあそういうカイヤさんもいるんでしょうけど、聞いただけでも強烈ですね」

「うわ酷い」

しかしながら、ここでは笑い話で済んでよかった。
カイヤ自身もそんな自分の人生は考えたくない。
だって、そんな人生はカイヤにとって“何もない”みたいなものだから。

「詳細は追々話しますけど、まぁそんな青年の壮大な妄想に付き合わされそうになってるらしいです、ハイネさん。
私が本人代表としてガツンと言ってやろうかとも思いましたけど、たぶんそれはなんの効果もないでしょう。反発したくなるだけです。
だから、ハイネさんにお願いをしたんです。
そのアイレスっていう人の“弟子”になってあげてほしいって」

「それは何故?」

「私にとっては、ハイネさんも私の人生を豊かにしてくれた大切な人ですから」

出会って最初にハイネと交わした会話。あの時のハイネはカイヤに“サイン”を求めた。
そんな有名人なんかじゃない、ただの学生なのに。
でもカイヤは満更でもなかった。
初めてカイヤに『慕われる』という感覚を教えてくれたのがハイネだったから。

“何もない”自分に、一筋の光としてハイネの生き様を見せてあげてくれないか、とカイヤは愛弟子に“お願い”したのだ。

破滅へ突っ走るもう1人の自分に、『私でもこういう人生を歩めるんだぞ』と教えてやりたいと、ふと思ったのだ。

「自分の並行人格に親心というか先輩心……って、ヘンですかね?」

「いいんじゃあないですか? それだけ今の貴女が幸せだと思えているという事でしょう。
答えは一つだと思い込む学者と、多くの可能性を予想できる学者。
どっちが偉大かなんて、一目瞭然じゃあないですか」

食後の息抜きに茶を一杯。
ゆるりとカップを傾けたアンリは穏やかに言った。

「大人になりましたね、カイヤさん」




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