もしも、心許せる家族や仲間がいなかったら。
もしも、誰にもこの頭脳を認めて貰えなかったら。
もしも、無償の愛を自覚できていなかったら。
きっと私は、そのアイレスという青年になっていたと思う。
ハイネにはある“お願い”をして、今日は通信を終えた。
なんだか今日は無性に誰かと会いたい。
カイヤは自分の懐中時計を確認すると、そろそろ夕飯時だった。
学校は授業を終え、校庭には誰もいない。寮の方は明かりが灯っていて、学生という身分を少しだけ下した子供達の賑やかな声がする。
カイヤはチラリと奥の部屋を覗いて父の寝顔を確認すると、そっと研究室を出た。
どうせどんな音が響こうと父は起きないのだが、なんとなくいつもそうしてしまう。
訪ねたのは隣の部屋だ。
ここはカイヤにとって心許せる家族、仲間がいるところ。
部屋には人の気配がある。
少し息を飲んでから、ノックしてみた。
「はい」
訪ねてきたのがカイヤだと、ここの主はわかっているだろうに、そんな事務的な返事がした。
「ちょっといいですか、アンリ先生」
名乗らずとも、やっぱり彼はわかっている。
少し布が擦れる音がしたと思ったら、見慣れた影がドアの半分を占めているすりガラスに近づいてくる。
カチ、と鍵を開けた音を聞いて、カイヤは少しホッとした。
この人は自分のために鍵を開けてくれる。
そういう、安心できる人だ。
「なんです?
今答案の採点に忙しくて」
しみじみと彼の気配を心の栄養にしていたカイヤは、怠そうに出てきた彼の姿に顔を歪める。
「センチメンタルな気持ちで訪ねてきたのに、なんですかその最高にめんどくさそうな顔は」
「知りませんよ、勝手に来たのはそっちでしょうが」
少し間を置いてから、カイヤは吹き出してしまった。
「あぁいや、ごめんなさい。大した用事じゃないんですけど」
「まぁ、そうでしょうな。何かあって僕を呼ぶ時のカイヤさんはあと十倍は騒音でしょうから」
「ほんっと素直じゃないなあ!」
いつもどおりの軽口を叩きあってから、カイヤはアンリの背後の書類の山の量を目視で確認する。
「採点、三分の一くらい手伝うので、夕飯は“こっち”でどうですか?
あぁ、私は今からちょっと出来合いのもの買いに行ってきますけど」
「素直じゃないのはどっちですか……。
僕適当に夕食作りますから、それでよければ持っていきますよ。少し待っていてください」
「やった!アンリ先生のお惣菜大好き!」
「まったく……」
半刻後にまた会おうと約束して、二人はそれぞれの空間へと戻る。
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