アイレスの弟子になれ、と言われても。

「いや、わからんわ。全然わからん。
うちはカイヤ先生が好きやから弟子になったのに、なんでアイレスくんの弟子までせなあかんねん」

ケイトに借りている例の宿で、ハイネはベッドに寝転んで懐中時計を宙に揺らしてぼやく。

今のところ、ハイネはアイレスが少し苦手だ。
ちょっとは和解できるかとシチューを振舞った時には思ったものだが、蓋を開けてみれば、あの男はとんでもなく自己中心的で傲慢で頑固だ。
ハイネが大好きな、ちょっと抜けているけど明るく前向きで好奇心旺盛なカイヤとは大違いである。
並行人格、侮れない。

しかし、あまり気乗りしなくてもやらなければならない。
アイレスにはオズと会うための仲介を頼んでいるのだ。それは何が何でも実現したい。
今思えば全く釣り合っていない対価だともうっすら思う。
それこそ、元の世界に戻る方法を用意してもらうくらいはやってもらってもよかったのではなかろうか。

(まぁ、今日はいろいろ聞いて疲れたし、ゆっくり寝よ……)

ふわあ、と大きな欠伸をひとつ。
ハイネはふわふわの大きなベッドに身を沈めて、束の間安らぎを得ようと目を閉じた。





――なるほどな。時間の遡行か。


暗闇で聞こえた声に、ハイネはパッと目を覚ます。
以前どことなく不安定な様子で去っていった人物との再会を素直に喜ぼうとしたが、この人が出てくるタイミングというのはいつも何かしらの前触れだ。
あるいは、この夢自体がハイネの旅の行く先を守っているのかもしれない。



「旅人さん。具合はどう?」

「具合?
……あぁ、以前の邂逅の時に話した事か。
ヒトの体調とは違うものだが……そうだな、うむ。特に問題はない」

この、正体がわかるようでわからない『旅人』を名乗る者。
どうやら彼女とこうして話せる機会は、もう残りそう多くはないようだと前に話していた。
どこか浮世離れしていて、感情があるようでないような、極めて冷徹な存在。
この人には“自分”という認識があるのだろうか。

そんな風にふと、アイレスに日中聞いた話が記憶を掠めるが、ハイネはまだ心にしまっておいた。
ハイネの心を見透かしているのか、日中の出来事をどこからか見ていたのか。『旅人』はにわかに微笑み、その件について触れるのを避けるような雰囲気を纏った。

「それで、あの青年との旅をする覚悟は決まったのか?」

「行くしかないよ。あんなの聞いちゃったら」

正直ハイネは、アイレスの言う通りに動く気は毛頭なかった。
まだ辿り着いたばかりの世界が消える消えない、その部分は今は置いておく。
ハイネが気にしているのはアイレスそのものだ。
彼はここ以外の世界を救うために命を投げ出そうとしている。
それが正しいと純粋に信じている。
誰にも相談せず、ただ己の考えを貫こうとしているわけだ。

(こういうのって、1人で決める事じゃないやろ)

仮にアイレスの計画が成功したとして、じゃあ本当に他の世界は救われるのか。
たぶん、ここと同じような世界は他にもある。
そういった世界全てに、アイレスの強い意志通り、自滅の歴史を求めるのか。

(やってる事、リアンさん達と同じじゃない?)

決して多くはないが実際にその身でいくつかの世界を旅してきたハイネは、どこか冷静にそう考えていた。



今ここは『旅人』が司る空間。
ハイネが頭で考えていた独り言もお見通しなのだろう。
ふ、と目の前の端正な顔が緩む。

「それが、君が抱く“モヤモヤ”というやつか」

頭の中身を読み取られていた事には、もう今更驚かない。
ハイネは小さく頷いた。

「そうかも。
……なんか、ヘンやな。前のうちやったら、世界が一つ終わってまうなんて聞いたらめちゃくちゃ焦ったと思う。
でも今は、そうやない。
確かに驚いたけど、だからって止めなきゃってなるわけでもない。
うち、そろそろ“マズイ”んかな……?」

ハイネが言うマズイとは、自分を見失い始めたのではないかと不安になって紡いだ言葉だ。
しかし『旅人』は、――感情を持たない彼女は、はっきりとハイネにこの言葉を届けた。

「いいや、君は違う。“私”や“私の友人”とは違う。
君のその想いは、かつて“私達”が抱くべきだったはずのもの。抱けなかったもの。
君はしっかりと、“信念”を持っている。
まだその形を掴めてはいないのかもしれないけれど……」

『旅人』は不意に右手をそっとハイネの前に出し、その手のひらからふわりと虹色に光る小さな花を咲かせた。
手品のようでつい見とれてしまった。
そしてその花は、ハイネが子供の頃を過ごしたオアシス村の自宅にたくさん飾っていた、砂漠の花である事に気が付く。

(おかんがいちばん好きだった花……)

「ハイネ。私が当初、道端の花を手折る話をしたのを覚えているか?」

忘れるわけがない。
信用しきっていた『旅人』という優しい存在が、どこか人知を超えた存在である事を思い知らされた話だ。

「摘んだ花の根っこがダメになる、って話よね。
考えなしに摘んで、うちは楽しいかもしれんけど、残された他の人はどうなる?っていう……」

「そう、その話だ。
あの時の君は不安げで、恐怖と後悔で慟哭し、私を責めた」

「……うちそこまで暴走したっけ?」

「はっはっは。まあそこは置いておいて。
でも君は、あの頃よりずっと冷静だ。君は気付いていないかもしれないが、君の心は壊れるどころか大きく成長していると私は思う」

「なんで急にそんな褒めるのよ」

「私が世辞を言える存在ではない事はもう理解しているだろう?」

「……そうだけど」

『旅人』の意外な言葉に、ハイネは少し拗ねたように目を逸らす。本当はちょっぴり嬉しいなんて、バレたくないから。
どうせ目の前のこのヒトには、ハイネの微かに揺れる心の声すらも聞こえているのだろうけれど。

「君は無意識に、“よりよい世界”の回答を探し始めている。
誰のためでもなく、誰のためでもある。そんな信念だ。
これは“我々”には芽生えなかったもの。
もう私に助けを求める必要はなく、私が警告せずとも、君は自分の予想と結果の推測を持っている。
だから、そんな君にあえて言おう。
――アイレスの旅に、共に行くのだ。
自信を持て。君なら――あの世界を、彼を、“我々”すらも救えるかもしれない」



ふわ、と『旅人』の姿が揺らぐ。
彼女を形作っていた光の粒子の最後の一粒が消えた闇の中、声は響いた。



君は彼との旅で、“すべて”の気付きを得るだろう。
その目で<はじまり>を見てくるといい。





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