昼食を片付け、二人は改めて向き合う。
アイレスは書類の束を手元に積み上げた。
「まずは、貴女にこの世界について知って頂く必要があります。
貴女は昨日、この世界……もとい、キルフ街について、何らかの犠牲を払った上での幸福な地だと表現した。
そして俺はそれを肯定しました。
この部分について詳しく説明します」
この世界は確かに、人類を不幸から遠ざけた楽園として成立している。
満ち溢れる大自然と共存する未来の技術。
病や貧困に苦しまず、誰もがやりたい事をして、なりたいものになり、生を全うできる場所。
こんなに幸せな世界があるだろうか。
「俺も、生まれた時から正直何かに困った事はありません。
健全な財力の中、両親ともに健在であり、何の不自由もなく育った。
この世界ではそれが当たり前です。
……しかし、その当たり前の裏に隠された『違和感』を知ってしまった俺は、この世界に最大限の嫌悪を抱いた」
「それがつまり、『代償』の事?」
「そうです」
ふう、と詰まった息を漏らし、アイレスは積み上げられた書類の中から一束抜き取った。
その束の表紙を飾るのは、まるで急いで複製したかのように斜めに歪んだとある文章。
「『全人類世界線渡航計画書』……」
ハイネが恐る恐る自分の声に乗せた言葉。
『世界』の外側を知る者だけが意味を理解できる、そしてとても恐ろしい一文。
「えっと……言葉通りなら……つまり……人類全員で世界を渡る……って意味……?」
「えぇ」
「そ、そんなことできるん?
だって、世界を渡るのって、一人でもすっごく大変で……」
「出来てしまうのです。
そしてこの書類は――今から20年前のものです」
アイレスはそこで言葉を区切る。
その瞳はハイネが導き出した答えを待っているようだ。
ゴクリ、と喉を鳴らしたハイネは、躊躇いと困惑の中でその瞳に応えた。
「……この世界にいる人達、みんな『渡ってきた』……って事?」
――ゆっくりとアイレスは頷いた。
「ちょうど俺が生まれる頃。
俺の親世代……つまりオズや、母親のマリ、叔父であるケイトや『リアン』も、この世界に渡ってきたのです。
全員、この世界で生まれ育った人類ではない。
もっと言えば、その10年前、20年前、もっともっと昔から、『俺達』は世界を渡り歩いてきた『旅人』。
……いえ、俺に言わせてもらうなら『外来種』といったところですか。
資源豊かな並行世界を見つけ、総出で押しかけて蹂躙する。
その地の恵みを使い果たしたら、また次の世界へ渡る。
俺達は――そういう存在なんです」
あまりの規模の大きさに、ハイネは文字通り言葉を失くしてしまった。
「貴女が俺へ至る情報を手渡したクラインという人物がいたでしょう。
彼はこの世界の本来の住人です。
しかしクラインは叔父さんと並行人格だ。共存すればどちらかが消えてしまう理がある。
リアンはクラインの価値について、消すには惜しいと考えた。
ですから、自らの右腕としてこの世界から連れ出し、共に行動している。
……クラインがそれをどう感じていたかは、察するに余りある」
アイレスの連絡先を託してきたクラインの絶望と虚無が入り混じる表情を思い出し、ハイネは鳥肌が立った。
そして、アイレスが今抱いている思想とクラインの存在が結びつく。
(そうか。クラインさんはアイレスくんに助けて欲しかったんだ)
故郷を突然外から入ってきた別の人類に奪い去られ、そして自らは利用される。
恐らくこんな悲劇を被ったのは、クラインだけでは済まないだろう。
「俺達異郷人が世界を壊しながら蓄積してきた文明と、そのために刈り取られていく数多の世界。
俺の父親も母親も、多くの人々の命を奪ってきた存在なんです。叔父さんだってそうだ。
あの人達はそれを疑問としていない。
……俺は、何千何億の人々の命を踏み躙ってまで生まれ落ちたくなんてなかった。
これが、俺の根本的な想いです。
だから俺は……」
ぐっ、と震える拳を握り締め、アイレスは静かに言い放った。
「俺は、この世界を……人類を……ここで終わらせます」
これ以上の犠牲がないように。
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