淹れたてのコーヒーを容赦なく乳白色に染め、ハイネはアンリの話に耳を傾ける。
聞けば、なんとカイヤが行方知れずなのだという。

「ど、どういう事?
カイヤ先生、学校におらんの?」

「えぇ……。
研究室に書き置きが残されていました。
“旧ダインスレフに向かう”と」

一瞬で嫌な予感がする。

「それってつまり……」

「まぁ、ほぼ確実に、彼女は学会に向かったのだと思います……。
先輩の件がありますし」

クレイズが邪なる者として命を落としたあの日から、カイヤは不気味なほど落ち着いていたという。
いつの間にか身支度を終え、アンリが研究室を訪ねた頃にはもぬけの殻。
雑然としていたはずの研究室は綺麗に片付けられ、まるで家主を失ったかのようだったとも。

「本当は僕も追いかけたかったんです。
追いかけて、止めねばと。
でも彼女はそれを見越して、手紙を残したんだと思います。
私を追うな、後の処理は任せる、と。
しかし真に受けるほど僕だって素直ではないんでね。
学長にカイヤさんの事を報告して、僕を行かせるよう仕向けたんですが、一歩遅かった。
……カイヤさんは辞表を出していたんです」

あぁ、本気なのだ、とアンリは悟った。
学会に足を踏み入れれば、もう戻って来られる保証はないと彼女はわかっていた。
なのに、向かった。
アンリを巻き込みたくなかったのだろう。
彼にはこのように幸せな家庭がある。
それを壊してはいけないと。

「……ハイネさん。
もし、もし貴女がこの先学会に向かうのであれば、カイヤさんを見つけてあげてくれませんか。
彼女は孤独すぎたんです。
僕だけではとても埋めきれない傷を、彼女は抱えていた。
元の世界でカイヤさんの弟子である貴女なら、この世界のカイヤさんの心を動かす事ができるのではないかと。
頼んでばかりで面目ないですが」

「ううん! もちろん!
どの世界でだってカイヤ先生はうちの憧れの人やから!
うちが見つけるよ。大丈夫。
だから、アンリ先生はどうか……このままでいて」

このまま、で。
その言葉の重みが彼に伝わるだろうか。
愛する人達と育む平和な毎日。
この世界での彼の幸せは、きっとそれだ。

「……わかりました。
国を救った貴女が言うのなら、僕は従いますよ。
貴女をこれ以上傷つけたくないですから……」



差し出された一杯を飲み干し、ハイネは席を立つ。

「ごちそうさま!
そろそろ行くわ」

「行っちゃうんですか、ハイネさん」

とたとたと走り寄ってきたトキ。
彼女に視線を合わせるように少し屈み、その頭を優しく撫でた。

「うち、これから遠いとこ行くんや。
なかなかトキちゃんには会いにこれんくなるけど、もしいつか……
また“うち”と出会ったら、友達になってな!
アキくんも一緒に!」

少し涙を浮かべていたトキだが、はい、と小さく頷いて微笑んだ。

「気を付けて、いってらっしゃい!」

家族に見送られ、笑顔で手を振り返すハイネ。
その足取りはとても軽かった。




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