扉を開けてみると、眠るクレイズの隣に腰を下ろしているグレンがいた。

「グレンさん、あの」

「悪ィ。空気悪くしたな」

はぁ、と彼は溜息を吐く。

「……話したくないなら、別に無理に聞きませんけど」

「フォシルの事か?」

えぇ、まぁ、と頷けば、彼は鼻で笑う。

「嬢ちゃん、信じなさそうだけどよ。
俺は昔、一度だけ身を固めた事があんだよ」

「えぇ?!」

素っ頓狂な声を上げるカイヤの前で、グレンはポケットから取り出した指輪をチラつかせる。
彼はいつもファッションとして豪奢な銀を身に着けているが、今その手に握られているのは紛れもない結婚指輪というやつである。

「じゃあ、フォシルって人は」

「そ。俺の女房。
雪国美人の最高の女だ」

この男と結婚しようと思った女性とは一体どんな人物なのか。
そんな内心が顔に出ていたのが、グレンは噴き出す。

「まぁ、なんだ。
今でも“あいつ”は俺の中の最高なんだよ。
だからそこらの雪国の女は好みじゃねぇっつったのさ」

「じゃあどうして今……」

「死んだのさ。
……いいや、殺しちまったってとこか。
息子ごとな」

だから、許せなかった。
最高の女と共に生きる人生で、なおも他の女を求めようとする“もう一人”の自分が。

「よく話題になる流行り病……今から14,5年前になるか。
フォシルと俺には一人息子がいたんだが、その病にかかっちまってな。
当時は特効薬も無し、ただ死んでいくのを見ているしかできなかった。
だから俺は、どんな手を使ってでも息子を助けてやろうとして、“悪魔”に頼ったんだ」

「……悪魔召喚、したんですか……?」

「そ。
むしろ不思議に思わなかったか?
召喚術の頂点たるこの俺様が、悪魔の1人や2人を従えてない事をよ」

「そりゃあ思いましたよ。
思いましたけど、そこまで私利私欲極まってるわけではないんだって、ちょっとは見直してました」

「ハハッ! 昔クーにも似たような事言われたっけなぁ」

悪魔。
それは魔力の塊が人格を成したものだ。
契約を交わせば、彼らの強大な魔力を好き勝手に使える。
悪魔召喚は召喚術の中では特に禁忌とされている魔法だが、力を求める者は試さずにはいられない。
だが、強大な魔力を手にしたが故の傲慢と、悪魔自身の酔狂な人格に狂わされるのが人間というもの。
悪魔と契約した者は、総じて何らかの災いを被っている。

だから、“悪魔と関わると不幸になる”と噂されるのだ。

「……で、グレンさんの“その事”も悪魔関係というわけですか」

「そうだ。俺は悪魔召喚に手を染めた。
だが己の魔力の量を見誤っていたらしくてな。
俺と契約したがる悪魔が大勢いた。
なぁ、嬢ちゃん。小さなドアから大勢が出ようとしたらどうなると思う?」

悪魔を召喚する際に地面に描く模様、それが魔法陣だ。
魔法陣は悪魔が住む空間と人間の世界を繋げる門となる。
成功すれば、術者に見合った魔力を持つ悪魔がその門を通り抜けて現れる。
しかし、グレンの場合は、彼の才能に食いついた悪魔が多すぎたのだった。

「壊れた、んですか。魔法陣が」

「そういうこった。
んで、魔法陣がぶっ壊れた衝撃で、俺が家族と住んでた屋敷は一瞬で消し飛んだわけ。
馬鹿馬鹿しいだろ?
息子を救いたくて悪魔に頼ったのに、息子はおろか女房まで消し炭にしちまった。
爪の一片さえ残らないほど盛大にな。
もちろん悪魔召喚は失敗だ。誰とも契約できなかった。
そして俺だけ未だにこうして生き恥を晒してる」

妻や子の死に実感が湧かないまま、グレンは一人放り出された。
もともとグレンにはしょうもない噂が付きまとっている。
妻子の死についても、尾ひれがついた噂ばかり広まっていく。

彼は社会的に殺されたのだ。
その上でも真面目に生きようなどという崇高な精神は、彼には備わっていなかった。

「こんな俺でも、クーちゃんだけはこの研究室に入れてくれたわけよ。
まぁ、クーちゃんは半分悪魔だしな。何か思うところもあったのかもしれねぇけど。
この俺に真正面から遠慮なくクズって言いつけてくれるのはこいつくらいだ。
あぁ、嬢ちゃんもか。クハハッ!」

「……そうだったんですね。だからさっきあんなに」

「ついカッとなっちまった。
まぁそれで“向こう”の“俺ら”が平和ボケしたままジジィババァになれるならそれでいい」

さーて、と彼はゆらりと立ち上がる。

「つまんねぇ話聞かせちまったな。悪い悪い。
今日はもう帰るわ。
女を何人か待たせててな」

「このクズ!!」

ヒヒ、と歯を覗かせてから、彼は一瞬で姿を消したのだった。



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