ハイネと名乗る少女と出会った。
彼女は、自分と想い人の娘だという。
冗談でも、本当に嬉しかった。
世界に見放されたようなこの牢獄で、『夢を見たっていい』と神様が励ましてくれた気がして。



ハイネが涙を拭ってくれたハンカチを見つめるアガーテは、ふと窓に目をやる。
そして吸い寄せられるように、窓際へ立った。
暮れゆく空を見上げて、そっと胸に手を当てる。

「一歩を踏み出せないのは私も同じ。
待ってるだけじゃダメ。
……行かなきゃ」

『彼』は自分が枷になっている。
なら、こちらから動けばいい。
そう思った。



窓を開け放つ。
夕刻の少し冷たい風が彼女を包んだ。
体を乗り出し、下を見つめる。

壁を伝う配管は、辛うじて彼女の体重を支えてくれた。





――アガーテが逃亡した。



夕食を運んできた召使いが、もぬけの殻となった部屋を発見した。
大慌てで主に報告すれば、ガリ、と爪を噛んだ彼は冷たく命じる。

「連れ戻せ。どんな手段を使ってもいい。
それから――メノウを呼んで来い」

兵達は散開し、アガーテを捜索する。
令嬢の足だ。そう遠くへは行けまい。
案の定、王城からそう遠くない木陰で彼女は捕まってしまった。





騒動の中でヴィオルに呼びつけられたメノウ。
しかし彼を待ち受けていたのは職務でもなんでもなかった。

――全身アザだらけになったアガーテだ。



言葉を失う彼に、ヴィオルは嗤う。

「貴様は言ったはずだな?
俺の妻にやましい感情などないと」

恐怖のあまり声も出せずに泣いているアガーテは、潤んだ瞳でメノウを見つめる。

「さぁ、言ってみろ。
俺がこの女を生かそうが殺そうが、自分には関係がないと。
……言えないか?」

白く細い首筋にナイフをあてがうヴィオルはそう問う。

「この女を救いたいか?
生かしておいて欲しいか?
ならば、俺に改めて誓え。俺にすべての忠誠を捧げると。
その命の是非を、俺に委ねると。
そうしたら、今日のこの件は水に流してやろう」

「……御意」

ただ一言、メノウはそう返した。



「ごめんなさい……
ごめんなさい、メノウ……
私が、馬鹿だったから……」

震えるその言葉に、彼からの返事はなかった。



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