――これは、猛る豹が生まれる少し前のこと。



アガーテは、いつも通りブランディア王城の離れに隔離されていた。
彼女はもう数年に渡って軟禁状態にある。



きっかけは恋愛感情のもつれだ。
ヴィオルの政略結婚相手として王城へ連れて来られたアガーテは、その当時からずっとメノウに片想いを募らせていた。
野蛮で色狂いと有名な男と、忠実に身辺を警護してくれていた男。
彼女がどちらに惚れるかなど明白だった。

とはいえ、ヴィオルは美しく賢いアガーテにすっかり惚れこんでいた。
そこで彼女を権力で我が物にしたはいいものの、その心までは支配できなかった。



アガーテの心を掴む男など殺してしまえばいい――……

だがそれは、価値のない人間の場合に限った話だ。
そう、殺すには“惜しい”男だったのだ。



メノウとヒスイ、二人の兄弟は、幼い頃はただの奴隷に過ぎなかった。
だが、当時たまたま王都を襲った魔物の群れを、二人の兄弟は幼いながらに制した。
その戦闘能力には目を見張るものがあったという。
話を聞きつけたブランディアの先代王が二人を買い取り、兵士として育てることにした。

二人は悪魔の血を引く『半悪魔』だった。
悪魔と縁が深いここブランディアでは、半悪魔は数こそ多くはないがよく知られた人種である。
類まれな魔力の持ち主。
その力は、人間はおろかダークエルフすら凌駕する。
使い方を間違えればたちまち国を滅ぼすほどの力を秘めている。
特に、『兄』の方は悪魔の血が濃く、同じ兄弟でもその力の差は歴然だった。

そんな“兵器”はもちろん金では買えない。
ヴィオルとしても、ブランディアの武器として手元に置いておきたい。
手に入れようとして手に入る人種ではないのだ。

だから、殺さなかった。
自分が欲しい女と同じくらい、手放すのが惜しい男。それが、メノウだった。
とはいえ、自分の妻が他の男に好意があるなど不名誉である。
故に、ヴィオルはアガーテを屋敷に閉じ込めた。
何者にも奪われぬように、宝箱に鍵をかけたのだ。



アガーテはすっかり消沈してしまった。
こんな事でヴィオルに心が傾くわけなどないのに、あの男にはそれがわからないようだ。
アガーテの機嫌をとりたいヴィオルは、弱者から吸い上げた財宝をアガーテに差し出す。
もちろん彼女は受け取りを拒む。

彼女が真に欲しいものは『自由』。ただそれだけ。



離れの窓の向こうを眺めていると、時々想い人が見上げてくる。
何を言うでもなく、ただ高さと壁に阻まれた先を見つめる。
嬉しくて窓際に駆け寄っても、彼は逃げるように去ってしまう。

――この窓から、連れ去ってはくれないだろうか。

幾度となくそう考えた。
だが彼は、いつかの少女達のように壁を乗り越えようとはしてくれなかった。

わかっている。
それはアガーテ自身のためなのだと。

それでも。



――私はすべてを捨てたっていい。貴方と一緒に生きられるのなら。
――貴方は、どうなの?




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