こつこつ、と意識を指先でつつかれるような感覚。
うん?、とハイネが目を開ける。
だがそこは現実ではなかった。
「ぐっすり眠っているところすまない。
君に警告せねばならない事情が出てきてな」
――『旅人』だ。
相変わらずオーロラのようにきらめく不思議な白髪をなびかせ、旅人は歩み寄ってくる。
「けいこく……?
うちに?」
「あぁ、そうだ。
……私が見ていた“未来が変わった”」
ぽかん、とハイネは呆ける。
以前、旅人は自ら、過去と未来でさえ見通すと胸を張っていた。
だが今の旅人は少し苦々しい顔をしている。
「どういうこと?
悪い未来が見えたん?」
「まぁ、有り体に言えばそういうことだ。
基本的に、私には世界の終焉までが見える。ただし手出しはできない。
私が関われるのは『私』という存在が生存している期間だけだ。
そしてそれは、『彼』も同じ……――」
「彼って?」
「私と対なす存在。
……『アクロ』という男だ」
歴史の歪みを作っている張本人の名。
ある世界ではコーネルとも呼ばれているし、またある世界ではもっと別の名を名乗ることもある。
存命の彼には歴史に干渉する力はない。
旅人が警戒しているのは、『ジスト』の存在を願って世界を渡り歩く“概念”へと昇華した彼のことだ。
「ハイネ、君が今いるその時間軸に、『アクロ』が辿り着いた。
彼は存命の『私』の死を感知すると現れる。
そして『私』が死なない歴史を作ろうと道を歪めてしまう。
たった一人を救いたいがために、多くの犠牲さえ厭わない」
「……つまり、うちが今いる世界のヒメサマが危険ってこと?」
「そういうことになる。
君がいうところの……アメリ王女の母であるジストが、近い未来に死を迎える。
だがそれは、君が今いる世界の“本来の歴史”だ。
ところがこれを捻じ曲げようとするアクロが現れたことで、ジストという存在の代償として別のところへ皺寄せがいく。
――その“歪み”に、『ヒューランの死』を見た」
ドクン、と胸が締め付けられた。
「それは……それはダメだよ!
ヒューランが死んじゃったら、赤の国が……!」
「そうだ。
赤の国すべてがヴィオルの支配下におかれる。
やがてヴィオルはその支配の手を碧の国の東へと伸ばす。
和平派に加担した東は、赤の国の内乱を煽ったという体で始末されてしまう。
そしてそのまま東を飲み込み、南へと至る。
南を飲み込み、北へ至る。
……誰も狂王を止めることができなくなる」
「た、旅人さんは……! ヒメサマがいる時間なら、なんとかできるんやろ?
うちも手伝うから! 何か……」
「……私は、神ではないのだよ、ハイネ。
これでもどうにか駒を動かしたつもりなのだ。
例えば君と『メノウ』を会わせたりな」
えっ、とハイネは目を丸くする。
旅人のシナリオだと全く気付かなかった。
「てっきり偶然かと……」
「ははは。さりげなさには定評があるぞ。
風を吹かせてアガーテに窓を開けさせたのも私だ。
……と、まぁここまで話せばわかるだろうが、つまるところ私にはその程度の力しかないのだよ。
ヒトそのものには干渉できないのだ。
そして、此度のアクロの歪みは、気まぐれなそよ風程度ではどうにもできないことになった。
万策尽きたわけだ。
そこで君を呼んだ。物理的に干渉が叶う君という存在をな」
「……え?!
まさか、うちにアクロって人をどうにかしろってこと?!」
「そういうわけだ」
サァ、と血の気が引く。
見えない相手を自分の力でどうにかするなど……――
「ど、どうすればえぇの?
もちろん教えてくれるよね?」
旅人は笑顔のまま何も言わない。
「ちょっと!!
カンジンなとこ言わんでうちにどないせぇ言うんや!!」
「君は私にとってもイレギュラーだと言っただろう?
君の思考と行動は私には読めないし、それがもたらす結果も見えないのだ。
だから、君が辿るべき道を私が示すことはできない」
「そ、そんなぁ……」
「だがヒントなら与えられる。
ずばりアクロが現れる時の“違和感”だ」
旅人は周囲に浮かぶ光の玉から一つをそっと手ですくい、ハイネの前に差し出す。
そこには“前の世界”のハイネが映っていた。
「これは過去の歴史の一部だ。
君も覚えがあるだろう?
白の国で雪崩に巻き込まれたあの件だ」
ハイネは思わず自分の腿を押さえた。
「あの雪崩は、後に麓の集落の焼失に繋がる。
足場が悪くなり、救助に向かおうとしていたアトリの軍が足止めを食らったからだ。
オリゾンテ家の壊滅と緑の国の宣戦布告にも関係している。
――そして、結局『ジスト』はその歴史の果てに死んだ。
つまり、あの雪崩はアクロが現れたことによる歪みの一つなのだ」
アクロは『ジスト』の死を回避するために現れる。
だが彼の出現はその死をより確定的にしてしまう因果でもあり、さらに周囲の存在の犠牲も巻き起こす。
「あの世界……っ!
そうだよ、だったら旅人さんはアクロさんの歪みを直せたはずじゃ……」
トキを、アトリを、レムリアを――救えたのではないか?
だが旅人はゆっくりと目を伏せる。
「……私は“干渉した”。
小さな少年を玉座へ座らせることで、青の国の崩壊を食い止めた。
その器は、『あの子』でなくては駄目だったのだ。
……緑の国も、そういうことだ」
「……じゃあ、旅人さん、は……
『歴史のために』、『選んだ』……ってこと?」
そうだ、と旅人は頷いた。
二者択一。
より良い未来のために犠牲となった命。
ハイネの意識が、波をひくように、去っていく。
「前の世界の結末を教えることを拒んだのは、そういうことだ。
これが、私にできる精一杯の“ハッピーエンド”だったのだ。
……恨むなら私を恨んでくれ、ハイネ。
だが私は“そういう存在”なのだ。
さて……。今回は、君はどう出る?」
旅人の声が遠ざかっていく。
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