香ばしい香りがカップに満たされていく。
アンリから受け取ったコーヒーに砂糖とミルクを遠慮なく混ぜ入れ、一口飲んでホッと息をつく。
彼が座ったタイミングを見計らい、ハイネは口を開いた。

「“こっち”のカイヤ先生に言われたんです。この世界のクレイズ先生の死について調べてくれって。
実はこっちのクレイズ先生はちょっと体壊してて。助ける方法がわからないんです。
カイヤ先生はたぶん、“そっち”のクレイズ先生の病気から何かを探ろうとしてるんだと思う」

混ざりけのない真っ黒なコーヒーの水面を見つめるアンリは、珍しく弱ったような表情を見せた。

「まずは謝らなければなりませんね。
僕はこの前、クレイズ博士――先輩の“今際”と表現しました。でもあれは予想に過ぎない。
僕自身は彼の死の瞬間を見ていないんです」

え、とハイネは思わず目を丸くする。

「先輩はね、“連れていかれて”しまったんです。
あの当時流行った奇妙な病気でしたから、その原因を突き止めるために、『サンプル』として。
まるで魔物か何かを生け捕りにするかのような扱いで……。
幼かったカイヤさんが、傷だらけになりながらも先輩に縋った。
でも彼はもう父親の心を忘れた『ケモノ』に成り果てていました。
僕達はおとなしく引き下がるより他なかった。せめて、これからの患者の回復に繋がる礎になれるようにと祈りながら。
……その数か月後に、彼を引き取った学会から短い文章の書類が届いただけ。『クレイズ・レーゲンは獄中で死んだ』と」

そんな無機質な紙1枚で終わってしまったクレイズの人生。
それを受け取ったカイヤが、虚しさに崩れ落ちる姿がぼんやりと脳裏に浮かんだ。

「先輩を苦しめた一連の流れは、便宜上は病と呼んでいますけど、僕にはそうは見えなかったんですよね。
なんせアレは感染するものでもなし、そして不自然なまでに『影響力のある人物』ばかりが罹患していた。
まるで、“誰かが意図的にバラ撒いた毒”のような……――」

ぞわ、と鳥肌が立った。
ハイネの世界のカイヤが、生涯の研究として掲げている『解毒剤の開発』。
原因となっている毒と気味が悪いほどよく似ている。

「……アンリ先生。
その、クレイズ先生を連れて行った学会っていうのは、うちでも近付ける?」

まだ年若いハイネにとっては、無謀と一蹴される提案だ。
だがこれは逃せない話だと本能が告げている。
もしかしたら、カイヤの研究が大幅に進むかもしれない気がしてならないのだ。

しかし当然、アンリは渋い顔をしている。

「こういうのも何ですが、貴女はまだ若すぎる。
社会科見学で済むような場所ではないのですよ。
僕もカイヤさんも、その扉の前にすら立てないほどです」

「どこにあるん?」

折れる気配がない。諦めるという選択肢は、彼女の中にはなさそうだ。
アンリは肩をすくめて、小声で告げる。

「……学会の中の1人。レムリア・クルークという人を訪ねてみては?
彼は今、碧の東の女王陛下の側近として、ミストルテイン城にいるはず」

「レムリアさん!!」

ぱあ、とハイネの顔が輝く。

「……知り合いなのですか?」

「ええと、前の世界の、やけど!!
でもどんな人かは知っとるよ!!
よかった、この世界にもいてくれた」

「僕はあの人、あんまり好きじゃあないんですけどねぇ。
奇特というか、酔狂というか。
先輩が現役だった頃は、時々魔法学校にも来てたんですよ。
まぁ、顔を合わせる度に口喧嘩ばっかりの二人でしたから、今訪ねても、先輩の話をしたがるのかはわかりませんが」

アンリは碧の国を記した地図の上の陸路を指でなぞる。

「徒歩だと半日はかかりますから、馬を使った方がいいですよ。
……乗れます? 馬」

「ん、ん〜?!
まぁ、それなりには……?」

気ままな蹄に翻弄されて砂漠を疾走した記憶が蘇る。

――トキちゃんに、ちゃんと習っておけばよかったかも。



俄然やる気が出たのか、ハイネはすっかり甘くなったコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。

「よっしゃ、出発するわ!!
アンリ先生、おおきに!!」

「せっかちですねぇ。朝ごはんくらい食べて行かれては?」

ぐうう、とハイネの腹の虫が同意する。
赤面してお腹を押さえる彼女に、目を細めて苦笑するアンリ。

「……いつでも帰ってきてください。
見栄を張って大きな家を構えたので、部屋が余って仕方ないのですよ」

彼はそう言って、照れたように笑うのだった。




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