空を見上げると、満天の星空だった。
昼間の熱気が地面からゆっくり立ち上ってくるような、少し湿った蒸し暑い夜。カレイドヴルフらしい空気だ。
もうトキは寝ているかもしれない。帰る道すがら、すぐ傍の家の明かりが消えたのを目の当たりにする。
一歩前を歩いているヒスイの後姿は、かつての父親と本当によく似ている。
少し覗いた横顔でさえ懐かしい。
ハイネは思わず聞いてしまった。
「ねえ、ヒスイ兄ちゃん。
もしかして“メノウ”って人、知ってる?」
ぴた、と足を止めた。
驚いて見開いた緑の瞳がこちらを向く。
「……お前、なんでその名前を……」
「やっぱ知っとるん?」
珍しくヒスイが物憂げに目を伏せた。
どうしたのかと顔を覗き込むと、彼は参ったように頭を掻いた。
「メノウは、ワイの兄貴の名前や」
――じゃあ、ヒスイ兄ちゃんはおとんの弟?!
あまりにも続きを期待する視線に圧され、ヒスイは再び歩きながらぽつぽつと語る。
「赤の国はヴィオル派とティルバ派で真っ二つ。同じ王家なのに完全に分離しとる。
ワイはティルバ派で、ヒューランの従者でもある。
……んで、兄貴――メノウは、ヴィオル派や。ヴィオル本人の臣下をやっとる」
「い、生きとるんや」
うっかり漏れた独り言に首を傾げるヒスイ。
なんでもない、とハイネは慌てて取り繕う。
「なあ、ハイネ。ワイもお前に1つ聞きたいんやけど……。
“アガーテ”って名前は知っとるか」
言葉に詰まった。
知っている。それはハイネの母親の名前だ。
ハイネが生まれて数か月後に亡くなってしまったために、彼女は母の顔を写真でしか知らない。
母の話が聞きたいと父にねだれば、決まって「また今度な」とはぐらかされてしまう存在。
結局詳しいことは聞けずに、父も死んでしまった。
まさか本当の故郷の話をできるわけもなく、ハイネは「知らない」と短く答えた。
「その、アガーテって人がどないしたん?」
「アガーテ様はな、ヴィオル王の妃で……――昔、兄貴が惚れた女や。
兄貴は半ば……アガーテ様を盾にされて、ヴィオル王の言いなりになっとる」
――この世界では、おかんが生きとる……。
急に鼓動が早くなった。
会いたい。会ってみたい。例えそれが同じ姿の別人であっても。
ヒスイは遠く、空を見上げた。
「もしかしたら、と思ったんよ。ハイネ、お前はアガーテ様にやたらと顔が似とる。
……実は首尾よく結ばれた仲だったら、アガーテ様も兄貴も報われたかとな。
まぁ、そんなこたぁ有り得へんのは百も承知やけど。
ちょっとした奇跡を信じたかった、ただそれだけ……――」
ヒスイと、この世界のメノウの間には何か見えない確執がある。
不意に現れた流れ星の軌道を追う深緑の瞳から、ハイネはそれを察したのだった。
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