ウバロとアトリが操る馬車は、やがて薄暗い森へと至る。
こここそが『魔境』。普通に暮らしていれば、恐らく一生訪れることのない未開の地である。
空気中の魔力が濃い。
匂いや色や温度があるわけではないのだが、長くとどまっていると酩酊してしまいそうな雰囲気だ。
実際、この濃い魔力で正常な方向感覚を失い、まるで千鳥足のように真っ直ぐ歩けなくなるのがこの地の特徴なのである。
それなりに自分の魔力の多さには自信のあるハイネでも、この空気には勝てそうにない。
「アトリくん、ウバロさん、方向、大丈夫そう?」
「あぁ、今のところはなんとか。
この馬は魔力帯を歩く訓練を一通り受けているらしい。
普通の馬なら、これだけの濃さの魔力帯に入ったら警戒して逃げ出してしまうだろう」
「うむ。所長もその辺りを考えてこの馬達を選んだらしいからな。
しかし不気味なほどに静かだな……。
小鳥の1羽も見当たらない。野生動物も住んでいないのだろうか」
警戒気味に慎重な足取りで魔境を進む。
妖しげな青白い木々の間を縫っていくと、開けた場所に到達した。
その先は絶壁だ。これ以上は進めない。
馬車を降りて様子を伺い、ようやくそこが『ゲート』へ至る奈落なのだと気付く。
ハイネは恐る恐る覗き込み、顔面を真っ青にした。
どれだけの高さがあるかわからない、底が全く見えない大穴だ。
「し、死んでまうわこんなん……」
「……所長からある程度聞いてはいたが……
俺の図体で言うのも何だが、こいつはとんでもないな……」
巨漢のウバロでさえ冷や汗を1滴たらすほどである。
「ハイネさん、この小石を投げてみましょうよ!
レムリアさんの話が本当なら、この石は跳ね返ってくるはず」
ベティは足元の小石を拾い上げ、崖のギリギリまでにじり寄る。
「はうあ~~!! これは!! めちゃくちゃ怖いです!!
アトリさん、ベティの手を繋いでおいてください~!!
絶対押さないでくださいよう?! 信じてますからね?!」
「わ、わかっている!!」
プルプルと震える指先から小石を投じてみれば、それは真っ直ぐ落ちていく。
音もなく、ただ真っ直ぐに。
「……フツーに落ちとるやん!! レムリアさんの嘘吐き!!」
「ま、待ってくださいハイネさん、あれ!」
トキが指差した所、ゲートの中央から小石が1つ、ピョンと飛び出してきた。
それは宙を舞い、結局こちら側に立つベティの足元に落ちてきた。
「……戻ってきたんか、これ?」
ユーファが拾い上げ、ベティに見せると、彼女は頷く。
「そ、そうみたいです。これはベティが投げた石そのものです」
――弾き返された? トランポリンみたいに?
「よかったじゃん、ハイネ。失敗しても戻ってくるだけだってわかったし。
後は気合いで飛び込むだけだよ」
「あ、アキくん~!! ヒトゴトや思うて~!!」
思わず懐中時計を握りしめ、浅い呼吸をなんとか宥めようとする。
泣きそうだ。あまりにも恐怖が強すぎる。
「……ん?!
待て、お前達、構えろ!」
ウバロの怒声がする。
ハイネが振り向くと、魔境の木々の陰から無数の人影が浮き出てきた。
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