ハイネ達が白の国へ渡る少し前の事だ。
緑の国の王城では、女王ジストがいつにも増して神経を張り詰めつつ地図を睨んでいた。
夫が「どうした?」と尋ねれば、彼女は忙しなく机を叩いていた爪の先を止める。
「メノウ。君は赤の国出身だったろう?
この、白の国と赤の国の境界にある集落については、知っているか?」
ジストが指差す紙面に、小さな村の印が鎮座する。
「“麓の集落”か?
ちっさい田舎村やで。確か領土としてはアルマツィアのもんだったはずやけど。
ちっさすぎて、しっかりした村の名前もない。だから麓の集落、や」
「行った事はあるか?」
「いいや、ないな」
そうか、と頷いたジストは再び眉間に皺を寄せる。
「そこがどうした?」
「あぁ。……私は、重要な事を見落としていたかもしれない」
記憶にも残らなさそうなほど小さな集落、それも他国のもの。
気にも留めていなかった“そこ”が、ジストが今感じている嫌な予感の正体に導くような。
「ハイネの連れに、若い姉弟がいただろう。確か、トキとアキ、といったか。
あの2人、聞けばコーネルの従妹マオリの子供達だそうではないか。
つまり、遠からず“コーネルの血縁者”という事になる」
「そういや随分前に聞いたな。青の国の貴族が、このチンケな田舎村に嫁いだなんて」
椅子に深く腰掛けたジストは、ゆっくりと足を組む。
「今、白の国は青の国と交戦中だ。それも、白の国が優勢の状態でだ。
もし自国に“敵国の王の縁戚”がいたとしたら……?」
「まぁ普通に考えて、潰すわな」
夫妻の間に沈黙が流れる。
お互い青ざめたところで、地図をたたんだ。
「恐らくコーネルはそこまで手が回っていない。
最悪、マオリの命は手放す覚悟でもいるだろう。
……それは駄目だ。姉を助けるために従妹を見殺しにした王など、品位に関わる。
メノウ、麓の集落にアトリの部隊を向かわせられないか?」
「お前……そんな事したらこの国まで……」
「だがあの教皇の事だ。マオリの命1つのために麓の集落を丸ごと消し去る決断など造作もないだろう。
我が国の行動が公になる前にマオリを保護できれば、この集落の住民の無駄な死を救える」
「その結果、緑の国も戦争に巻き込まれて、国民の犠牲が増えたとしても?」
ぐっ、とジストは押し黙る。
「お前がコーネルを助けたい気持ちはよくわかる。
だがな、これは青と白、二国の問題や。
確かにうちは青の国と同盟国ではあるが、戦争に加担する義理はない」
「わかっては……いるのだよ。だが、今のコーネルは冷静さを欠いている。正気ではない」
頭を抱え、ジストは俯く。
「以前、私は止めたのだ……。君が言うように、彼に、姉1人の命と大勢の国民の命を天秤にかけてみろと。
そう、私は一度“リシアを見捨てた”。
コーネルは恐らく、私の“裏切り”に酷く傷ついたはず。
元より彼は孤独なのだ。寄り添ってやるべきだったのに、合理をとってしまった私に彼は失望しただろう。
だからせめて、これ以上彼の王としての立場が揺らがないように、手助けがしてやりたい。
独りで戦う彼を見ているのは、私にとっては酷なのだ……」
幼い頃からの深い絆。
幾度も“人間として”結ばれる機会が訪れたはずだが、ジストはそれを望まなかった。
もしかしたら彼は望んでいたのかもしれない。だとすれば、果たして何度彼の想いを裏切ってしまったのだろうか。
「……あぁ、もう。わかったわかった」
唇を震わせている妻の顎を片手でグイと上を向かせ、淡く微笑んでみせる。
「お前、黒の国に知り合いはおるか?
アトリをそこまで出掛けさせるぞ。
……おっと、通りすがりにちっこい集落があるみたいや。馬を休ませるにはちょうどいいな?」
――ジストは明かりが灯ったようにパッと笑顔を咲かせた。
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