「くしゅんっ!!」

仕事机に向かっていたカイヤは、むず痒い鼻に顔をしかめた。

「風邪でも引いたのでは?
温かいコーヒー飲みます?」

「あ……はい。お願いします」

水を火にかけるアンリは、ふう、と長いため息を漏らす。

「貴女は本当に先輩そっくりだ。
一度夢中になると机に噛り付いて離れないのだから……」

「だって、やる事はたくさんあるんですよ?
ハイネさんを連れ戻す方法を考えなきゃいけないし、解毒剤の開発も出来る限り進めておきたい。
授業の準備もしなきゃですし、生徒の補講にも付き合わなきゃ……。
もう分身したいくらい忙しいんですから!!」

「まぁ、あくせく駆け回っている方が気も紛れるかも……しれませんけど」

コトン、とコーヒーカップが置かれる。

「ありがとうございます……っていうか、アンリ先生はいいんですか?
今日ってオフの日でしたよね?
てっきりマオリさんとデートに出かけるのかと思いきや、私の研究室にずっといますけど……。
いや、答案用紙の山を代わりに捌いていただけるとか感謝の極みですが……」

「見張りですよ、見張り。
貴女の暴走を止める役割のハイネさんがいませんからね」

「ぐう……面目なし……。
でもずっと前から決めてたんじゃ? 今日は遠出するとかって……。
マオリさんガッカリして、アンリ先生フラれちゃうかもですよ?」

「それはそれで」

「何言ってんですか、もー!!
せっかく素敵な彼女さん出来たのに!! 私なんかの雑用に付き合わせるだなんてー!!
もう大丈夫ですから、早く行ってあげてください!!」

「今行ってしまうとね、たぶん一生後悔するんですよ、僕は」

「はぁ~?」

黙々と赤いペンを走らせるアンリはそれ以上何も言わない。
肩を竦めたカイヤも自分の仕事に戻る。





コンコン、とノック音がする。

「鍵開いてますから、どうぞー」

カイヤが答えると、カラカラと扉が開いた。

「やっぱりこちらにいらしたのね。ムフフ、わたくし特製の差し入れを持って参りましたわ」

――マオリだ。





マオリが抱えていたいくつもの弁当箱には、できたての惣菜が詰まっていた。

「うわぁ、美味しそう!!
アンリ先生、よかったですね!! 差し入れ!!」

「あら、カイヤさんも召し上がって?
今日はわたくしもこちらでお供しますわ!」

えっ、と驚くカイヤに、マオリは笑顔を浮かべる。

「アンリがどうしてもと思い詰めた顔をしていたから、わたくしだって怒るに怒れませんでしたの。
とはいえ、アンリがわたくしにドップリ惚れこんでいるのは承知の上ですから、別に何も疑いませんわ」

「ま、そういう事です」

もはや慣れた風にマオリの言葉を受け流し、アンリは答案の山の一つをマオリに押しやる。

「はいじゃあこれ。中等科の答案用紙です。懐かしいでしょう?
まさか空では答えがわからないなんて言いませんよね、博士課程のご令嬢?」

「んもう、馬鹿にしないでいただきたいものですわね!
……あっ、錬金術の答案ですの……んっんー……?」

「うわぁ、すみません……マオリさんにまで……。
私、なんとお礼をしたら……」

「そうですわねぇ。それじゃあ……」

クスクス、と彼女は笑った。

「『わたくし達の結婚式に出ていただこう』かしら?
あら、それがいいわ。でしょう、アンリ?!」

「……そうですね」

どことなくアンリが不安げな横顔を覗かせていた事に気付いた者はいなかった。




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