女性の声……のような音がする。
雑音が混じり、言葉が聞き取れないが、誰かが喋っているようだ。
慌てて器材を調整し、雑音の中からその声を拾い上げる。
なんとも、蜘蛛の糸を掴むかのような心情だ。
『聞こえ……すか……、応答お願いし……す』
「カイヤ先生?!」
ハイネが精一杯の大声で呼びかけると、ザザッ、という音の後に雑音が取り除かれた。
『その声……やっぱりハイネさんですか?!』
「カイヤ先生!! うちや、ハイネや、聞こえるん?!」
『きっ、聞こえ……、ちょ、待っ、アンリせんせ、アンリせんせ――い!!!』
ドタドタドタと騒がしい音がする。
カイヤが慌てて立ち上がって椅子でも倒したのかもしれない。
そんな様子を想像して、ハイネは涙を浮かべて微笑んだ。
「ねぇ、今その人『アンリ先生』って言った? やっぱり父さん?!」
「アキ、少し落ち着いて。まずはハイネさんの用件を済ませてからですよ」
しばらく待っていると、再び声が届く。
『ハイネさん、無事ですか? 怪我してませんか?! 体調は?!』
「もー、おかんみたいやな、先生。
うちは大丈夫だよ!! 超元気!! 友達もできたし!!」
『も、もう……、私、心配しすぎて死にそうだったのに……』
『――ハイネさん、聞こえますか。アンリです』
わぁっ、と後ろに立つ姉弟が顔を輝かせる。
「アンリ先生~!! やっぱりカイヤ先生と一緒におった!!
よかった、2人共元気そうで……」
『……呆れを通り越していっそ清々しいまでにいつも通りですね、貴女。
まぁ、いいです。後はカイヤさんに代わって……――』
「父さん!! 父さんだ!!
ぼく、アキっていうんだ!! 父さんの息子!!
は、初めまして!!」
『――え?』
「わっ、ちょ、アキくんストップ!!
アンリ先生びっくりしてまうって! まだ結婚すらしてへんのやで、あの人!」
『……あの、ハイネさん、どういう……――』
「すみません、お騒がせして。
私はトキ。……きっと、あと3年くらいしたらお会いできると思います。
その時は、宜しくお願いしますね」
『トキ……さんですか? は、はぁ……』
トキはアキを抱き上げて引かせる。
「なんだよ、姉ちゃん。もっといろいろ父さんと……」
「アキ。今喋っているその人は、確かに父さんと同じ人かもしれないけれど……」
――同じようで違う人。私達の父さんはちゃんといるでしょう?
アキは黙って頷いた。
「それで、カイヤ先生。そっちは変わりない?」
『変わりも何も、ハイネさんが行方不明になってもうひと月……。
表沙汰にすると大変な事になるので、今は“一時的に里帰りしている”という体で休学扱いです』
「そっかー。はよ帰って授業出なきゃなぁ」
『そんな事よりも。
……この座標、そちらは一体どんなところなんですか?
余りにも遠すぎて、想像もつかないほどなのですが』
「大丈夫だよ! そっちとすっごい似てるんや。
あ、でもそこから20年後やね、今」
『に、20年後?!
時系列までおかしな事に……』
「ねぇ、カイヤ先生、ほんまに変わった事、ない?」
『いえ、特には……』
「あと、ごめんな……。クレイズ先生を助ける方法、この世界にはないみたいや」
『……そうですか』
ハイネはチラリと隣に座るクレイズに目をやる。
彼は唇を噛み締めながら、どこか一点を見つめていた。
「カイヤ先生、もっかいアンリ先生と変わってほしいねん。
あと、ちょっとヒミツの話するから、終わるまで耳塞いどって」
『えぇ、何ですかそれ……。
いいですけど……』
再びアンリの声が聞こえてくる。
『代わりました。僕に話とは?』
「アンリ先生、お願いがあんねん」
隣のクレイズの手を握ってから、ハイネは意を決して呼びかけた。
「アンリ先生、カイヤ先生を守ったって。
特に、アンリ先生が次にマオリ先輩と出掛ける日は。
……ほんま、ごめん。でもその日だけ、カイヤ先生から目を離さんといて。
デートの日、1日ずらすだけでいいから」
『なっ……何故ハイネさんがその事を……?!』
「あのな、わかってんねん。その日、きっと特別な日になるはず……なんや。
でもな、ほんま、ごめんな、アンリ先生。
……その日、カイヤ先生が危ないから」
『カイヤさんが……?』
バツが悪そうな声から一転し、アンリは真剣そうな声音になる。
「今このやりとりに使ってる機械、できるだけ誰の目にも触れないように……。
あと、カイヤ先生は1人にしちゃダメ。
……うちが今いるここ、そっちの20年後くらいなんやけど……」
ハイネは涙声を堪えて、告げる。
「アンリ先生がマオリ先輩にプロポーズした日。
カイヤ先生は“誰か”に襲われて殺されてまう。
……この世界に、カイヤ先生、もうおらんのや……」
『――……っ』
ハイネはクレイズを機械の前に引き寄せ、座らせる。
戸惑う彼に、彼女は頷いた。
――そういう、約束やろ?
「……アンリ君かい?」
『へ?! え、ちょ、その声、まさか……』
「そうだ。僕はこっちにいるクレイズ。
ハイネ君が、カイヤの代わりに僕を辿ってきた。
僕の娘は、カイヤは、20年前に殺された。もういない。
時期はちょうど……そちらと同じ頃だろう」
『……先輩、では1人で……?』
「……うん。20年間、僕は1人で生きてきた。
カイヤを亡くして、アンリ君を故郷へ送り出して、その後20年ずっと」
『僕を故郷に……って』
「心当たりがあるんじゃないか?
安心しなよ。君は“その夢”を立派に叶えるのだから」
『……余計なお世話です。答えから突きつけられたら面白くないじゃないですか』
「まだわからないよ。君が一人前になれているのなら、の話なのだから」
しばらくの沈黙の後、アンリは呟く。
『カイヤさんに……代わりましょうか?』
クレイズは小さく深呼吸してから、「うん」、と頷いた。
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