「弟先生って、誰やろ。クレイズ先生に弟なんかおったんかな」
わかりきったように廊下と階段を進むハイネ。
角を曲がろうとしたところで、誰かと鉢合わせた。
「……っと、すみません」
その人物は聞き覚えのある声で端的に謝ると、そのまま立ち去ろうとする。
――が、ハイネの方が声を上げた。
「あー!!
知っとるで、お兄さん!! クラインって人やろ?!」
パチパチと男性は瞬きをした。
――あれは、ハイネがまだ8歳だった頃。
オアシスから突然何者かに攫われ、黒の国の研究機関へ放り込まれた、あの日。
冷たい眼差しの青年の顔をよく覚えている。
機械に徹するかのような虚無の瞳。でも、“とある女の子”を見る目だけは、少し表情があるような気がして……――
「あぁ。兄のお客人ですか。よく私の事をご存じでしたね。
……クライン・レーゲンです。クレイズの弟にあたります」
長い赤紫の髪を後ろで束ねた、白衣の青年。
少なくともハイネが知る彼から20数年後のはずが、当時とまったく見た目が変わっていない、ような。
だがその瞳は彼女の記憶にあるそれよりもどことなく穏やかな、ごく普通の“人間”のものだ。
「丁度いい。兄さんなら研究室にいます。
かなり尖った性格の男なので、失礼があったらすみません」
クラインに連れられ、ハイネ達はクレイズの研究室の前までやってきた。
未来の世界のここで感じる、懐かしい研究室のドア。
コーヒーとお菓子を抱えてここを開けた時は、まさかこんな場所にくる羽目になるとは思ってもみなかった。
この扉の向こうに、クレイズがいる。
物言わぬ植物となってしまった彼ではない、『生きている』彼が。
ハイネは緊張で早まる鼓動に手を当てつつ、扉へと手を伸ばす。
コンコン、とノックしてみた。
「……返事ないけど、寝てるんかな?」
「無愛想なだけですよ」
躊躇うハイネを余所に、クラインは遠慮なく扉を開ける。
身を竦めて恐る恐る覗き込んだハイネの目に映ったのは、予想に反して“綺麗に整頓された”研究室だった。
本来理想的な光景のはずなのに、どこか異質な印象がある。
「兄さん、例のお客人です。入りますよ」
クラインに促され、ハイネ達4人は研究室に足を踏み入れる。
奥の部屋から、小さく足音が聞こえた。
「込み入った話なのでしょう? 私は席を外します。
面倒な男ですが、宜しくお願いします」
小声でそう耳打ちしたクラインは静かに研究室を後にした。
入れ替わるように、奥の部屋への扉がゆっくり開いた。
長い紺の髪。肩から羽織っている白衣。折れてしまいそうな痩躯。
――冷え切った赤と金の瞳の青年が、静かに現れた。
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