――その日の緑の国の空は、これから起こる事を予期するかのように分厚い雲で覆われていた。



城内が戦々恐々とした雰囲気に包まれている中、カツカツと鋭い足音が深緑の絨毯を速足で渡る。

「きゃあっ、アトリ様だわ……!」

「今日もお美しいわね……」

廊下の端々から、そんな黄色い声がひそひそと流れてくる。

凛とした顔立ちの、赤い髪の青年。
鋭く前だけを見つめている紫と黄の混じった不思議な瞳は、城の召使い達の甘い色に染まった顔には捉われない。

急ぎ足の彼――緑の国、アクイラ王家の第二王子アトリが向かったのは玉座の間だ。
待ち構えていた兵士が、アトリが立ち止まる前に大扉を押し開ける。

「お呼びですか、母上」

「うむ。来たな」

金色の玉座で足を組んで座っている女性。この人物こそが、今、緑の国を治めている主。女王――ジストだ。
その尊大な姿の傍らに控える一歩引いた長身の男性は、アトリと同じ髪の色をしている。
そう、彼はジストの夫であり、アトリの父である王配。メノウという名の者。

息子の到着を迎えたジストは玉座から立ち上がり、長く尾を伸ばす深紅のマントを引き連れながら一歩、二歩と階段を下りた。
彼女が言葉よりも先にアトリへ見せつけた一枚の書類。

「こ、これは……?!」

「見ての通り、赤の国の王ヴィオルからの宣戦布告だ。
ユーファが、我が国から赤の国へ差し向けられた“刺客”であると、ここには綴られている」

「まさか、そんな、あいつが……」

「もちろん、こんなものは真っ赤な嘘だ。
美と調和を愛する我が国ミストルテインが、あのような野蛮な連中の住処に刺客を入れるだと? 馬鹿馬鹿しい。
……あの愚か者め、再三の忠告も聞き入れず勝手に赤の国へ入国していたようだ」

「……母上、私は母上に命じられるのであれば、この手を兄の血で汚す事も厭わない。
どうか躊躇わないでいただきたい」

書面を持つジストの手がプルプルと震える。
その直後、ぐしゃりと紙が握り潰された。

「この馬鹿者――ッ!! 揃いも揃って馬鹿息子共め!! 何を言うか阿呆!!
子供同士で殺し合いをさせる親がどこにいるかッッ!!
というか、私が愛する夫との間の子供を刺客だなどとホラを吹く脳まで腐った種馬国王の口車に乗せられてたまるかッッ!!!」

「しっしかし!!
愚兄のせいで我が国を戦乱に巻き込むなど、王家の恥晒し以外の何物でもありますまい?!
私がブランディアまで参り、ヴィオル殿の目の前で兄の首を撥ねれば、あるいは……」

「だーかーらー!! 何なのだお前は!! そんなにユーファを殺したいか!!
そんな息子に玉座はやらぬわ!! めっ!!! 『めっ』だぞ!!!
王位が欲しければ賢く上品に掠めとるのだッッ!!! 頭を使え頭をッッ!!!!」

「か、掠めとる……」

母親の剣幕に思わず仰け反るアトリ。母と息子の間に「はいはい」と仲裁の手が入る。

「まー、黙って聞いてりゃ殺すだの殺さないだの……。
お前ほんま昔っから変わらんなー……」

「あいたっ!!」

ジストの額が夫の爪の先で弾かれる。

「それで。ヴィオルはもう攻め込んでくる気満々か。っていうか、『待ってました』ぐらいの勢いか?
あっちも昔っから変わらんなぁ。多少は年取って賢くなったか思うたけど、ボケたか?」

まぁいい、とメノウは腕を組む。

「このままやと数週間もしないうちに緑の国まで攻めてくるやろな。
ひとまずフロームンドとバルドルには先に兵を置いておいた方がえぇ。この2か所がやられると国が多少なり傾く。
アトリ、行けるか?」

「はっ。仰せのままに」

「よし。それじゃお前の部隊と、ワイの部隊からも何人か好きなの連れてけ。お前は初陣やし、慣れた奴も連れていった方が安心やろ。
それからジスト、お前は青の国に通達出しとけ。向こうも同盟国やし、いくらか騎士団貸してくれるはずや。
あと、赤の国への使者を選べ。アトリの軍と赤の国がぶつかる前に、どうにかケリをつけたい。
ヴィオルが何を条件にするかわからんが、一応、金は用意しておく」

「私は絶対に金以外のものは差し出さないぞ。絶対だ」

「さて、どうなるかね。あの強欲まみれの男やし、街の1つや2つは欲しがるかもしれんぞ」

「ぜ――――ったい渡さないッッ!!」

「子供かよ」

譲らない意地を張るジストはさておき、手早く今後の方針をまとめたアトリとメノウは玉座の間を後にする。



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