「それでは、これより俺達が始める旅の計画を立てましょう。
と言っても、もう既に道筋はできている。後は俺と共に来るに相応しい『観測者』さえいればいい」

「その観測者ってのがうちの事?」

「そうです」

アイレスは資料の束からとある1枚を抜き取ってハイネの前に差し出した。
何かの設計図のようだ。
小部屋のような空間に、巨大な球体が中央に1つ。

「なんやこれ、でっかいフラスコみたいな……」

「似たようなものです。これは『コア』。我々外来種が他の世界に渡るときに消費する魔力を貯蔵する巨大な装置です。
俺も実物は見たことありません。
表向きは世界のインフラを機能させる燃料源と言われていますが、人類が社会で消費する燃料など、このコアの中身のコップ一杯ほどのものでしょう。
はたして、これほど大量の魔力を一体どこからどうやって集めたのか?」

彼はそう疑問を投げかけるが、別にハイネの回答を求めているわけではないようだ。
そのまま彼の話は続く。

「魔力を作り出すには膨大な時間と労力がかかります」

あぁ、とハイネは頷く。

「こんなに発展した未来でも、そこは変わらんのね。
うちもそういう認識。ここまで来るのに、魔力の確保にどれだけ悩んだか……」

口を挟まれた事にムッとしたのか、アイレスは黙る。
まるで幼い少年のワガママを前にしているかのようだ。
ごめんごめん、とハイネは続きを促す。

その脳裏にふと過った記憶。


――『この世界の1年間』を貴女に託しましょう。


そう、最初に訪れた世界でレムリアが言っていた言葉だ。
彼があの時言っていた魔力の貯蔵庫と、アイレスがいう『コア』はひょっとしたら似たような機構なのかもしれない。

あの世界では純粋に人々のためにコツコツ魔力を生産する機械。
この世界では他の世界を蹂躙するほどの力を持ってしまった機械。

枝分かれした未来の両方を、ハイネは見ているのだ。


「……それで。魔力という貴重な資源を、たかが20年程度で“次の世界へ至る”程集めるには、一体どうしたらいいかという話です。
貴女はこれまでにそれほどの技術を持った世界を見た事がありますか?」

今度はちゃんと質問されたようだ。
ハイネは首を横に振る。

最初の世界は言うまでもなく、たった10年分の魔力を作って貯めるのに精いっぱいだったとレムリアは話していた。
二番目の世界は、そもそも魔力を作ろうなどという地点に至っていなかった。
もちろん、ハイネが生まれ育ったあの世界でも、魔力を動力にした社会はまだまだ先のように思えた。

手っ取り早く魔力を集めるとしたら、何をすればいいのだろう。

――と、そこまで考えてハイネは青ざめ、懐中時計を思わず握りしめてしまった。



そうだ。
『邪なる者』だ。

たった一瞬で、たった1人の命から、別の世界へ至れるほどの魔力が作れてしまう。

邪なる者は、人間だ。
人間が生まれ持った健全な魔力回路を捻じ曲げ絞り出した、甘美な資源。
他の世界の命を躊躇いなく踏み躙る者達に、その手を使わない良心がまだ残っているだろうか。


「『代替病』という病を聞いたことはありますか?」

青ざめるハイネに、アイレスは続けてそう問う。

「ダイタイビョウ?何それ」

ハイネは初耳だった。
これまでの世界でも聞いた事はない。
この会話の中で問われたのだから、先述のコアや邪なる者と何か関係がある病気のように思える。
アイレスもこの病については知らないと既に予想していたのか、ハイネが聞き返す様に特別驚きはしなかった。
口下手故にアイレスの問いはちぐはぐに思えたが、それは全て彼の中では一本の結論に繋がる材料のようだ。


「代替病。このような先進的な世界でも、唯一不治の病と呼ばれているもの。
そしてこの病は、健全な歴史を辿る世界には絶対に生まれないもの。
……並行人格が同じ世界に留まれない、という理は貴女もご存じでしょう。その延長にある病気です。
並行人格同士が同じ世界に留まり、どちらかが淘汰されどちらかが生き残る。
淘汰された人格はどうなるのか?
それは生き残った人格が吸収という形でその身に蓄える。
並行人格は別の世界の自分。もしかしたらそうなっていたかもしれない、別の人生の自分です。
そんなもう一人の自分の人格を吸い続けた者は、少しずつ『自分』を見失う。
自分は一体どこで生まれてどういう暮らしをして、どんな価値観を持った人間なのか。
――それが、わからなくなる。
一体何のために今生きているのか、それすらもわからない。
“渡りすぎた”俺達のような外来種にだけ発症します」

つまり、人格を“代替”した者がなる病だ。
数多の並行人格の記憶が入り交じり、ここにいる自分が誰なのかわからなくなるというわけである。

「そうなった者はどうなってしまうのか。
自暴自棄、悲観、希死念慮、――執着。
自分という皮を脱ぎ捨てたくなる人、自分を見失った苦の果てに死に救いを求める人、いろいろです。
たった一つの些細な拘りやクセが、多くの人格を吸った事で肥大化して異常な行動、思考に至る人もいる。
特に、この病は自分に信念がない人が罹りやすい。
相手や環境によって立ち振る舞いを変える、そういう柔軟な人こそ、自分を見失ってしまうんです。
そしてこれはどうしたって治せません。世界を渡るという背徳的な旅に対する、理からの罰です」

そういった代替病の患者は、理性という枷が壊れてしまう。
するとどうなるか。
――その体は邪なる者に成り果ててしまうのである。

「まだキルフ街付近では聞いた事がありませんが、街中で突然代替病患者が邪なる者に変貌してしまう事件は、他の街では少なくありません。
そして、一度邪なる者になってしまった体は治癒が非常に難しい。
物理的に排除する事も不可能に近い。
じゃあどうするか。
“捨てる”のです。虚無の彼方に」

「虚無の彼方……」

虚無、と言われて普通の人々は何を思い浮かべるだろう。
ハイネが想像するものは当然、『ゲート』だ。
あの奈落の先に何があるのかなど想像もつかない。何もないと思った方がまだ理解できる。

「そんな廃棄物に目を付けたのがリアンでした。
どうしようもない巨体を捨てる時に、ソレが持つ魔力を回収する。
1体で膨大な量の魔力を回収できます。
こんなにうまい話はありません」

ここでようやく、アイレスの計画の話へと到達する。

「俺達がこれからやるのは、その邪なる者から魔力を回収される前に、どうにかそれを阻止する事です。
コアに貯められた魔力の大半は、そういった方法で集められたもの。
なら、先回りしてそれを阻止すれば、コアの魔力は溜まらない。
最終的にコアが製造される前に阻止すれば、『コアがある』という未来である『ここ』は消える。
そうすれば、俺達外来種はここで道を絶たれて死滅する」

「それって、……ここが、この世界が消えるって事は、アイレスくんも消えちゃうって事じゃないの?」

「そうです。それこそが俺が長年目指してきた極地なんです」

「で、でも!」

ハイネは焦る。
うまい言葉をいくつも探した。
そして妙に明瞭な頭から一瞬で弾き出された答えが、これだ。

「並行世界は、無数に……無限にある。星の数より、たくさん、たくさん……。そうやろ?
もしここのアイレスくん達が消える事に成功しても、他の世界の似たような人達が同じ事をするかも。
それって、意味はある……?」

「そのための貴女です。
この世界に縛られない、他の世界へ渡れる貴女に、これからの俺の旅の記憶を持ち帰ってもらう。
そうして、他の世界でここと似たような事をしでかそうとする愚かな外来種に、貴女が持つ俺の記憶を届けてもらう。
そこまでが、『観測者』の仕事です」

「そ、そんな壮大な事、うちにやらせる気って事!?」

「別に他の世界の『俺』まで見届けろって言ってるんじゃないですよ。
次の『俺』にバトンを渡すだけ。その後はそっちの『俺』が何とかするでしょう」

「そんなのわからんやん!
さっき自分で言うたやろ!並行人格は別の自分やって!
なんでここのアイレスくんが顔も知らんどこかの並行人格が何とかするなんて言えるんよ?」

「俺は信念があるから」

涼しい顔で彼はそう言ってのける。

「俺は正義の味方を気取ってるわけじゃない。
でも、自分が違うと思った事は絶対に認めない。
そういう『人格』です。
もし多くの犠牲を払ってまで自分が生まれたと知ったら、それについて怒り、嘆き、許しません。
それはきっと、どこの世界の『俺』でも揺るぎませんから」

――取り付く島もない。

ようやく長年の計画が実行できると、どことなく意気揚々としているアイレスを眺め、ハイネは深く溜息を吐くしかなかった。





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