ハイネの世界のミストルテイン城は、赤い薔薇の心地よい香りに包まれている。
かつて長旅から戻った主が、崩壊した城の庭に真っ先に植えるよう言ったのが赤薔薇だった。
大切な『片割れ』が愛した花。美しく咲き誇る姿を見たら、きっと喜ぶのではなかろうか。
「まぁ、僕には赤とか似合わないけどね……」
中庭で犬を抱えて1人ぼやく後ろ姿。
「それにしても、重くなったな、“カル”は。
全然軽くないじゃない。……なんてね」
スラリと伸びた青年の腕の中でクンクンと鼻を鳴らす茶色い犬。
今年で6歳になる、ミストルテイン城の飼い犬『カル』だ。
以前は王妃ユーディアの飼い犬だったが、彼女が嫁ぐ際に、輿入れの品を積んだ馬車にちゃっかり混ざってやってきた。
優雅な薔薇園には、他にもオウムの家族が気ままに住み着いている。この一家のうちの1羽も、犬と一緒に運ばれてきたのだった。
どこかで番を見つけたのか、いつの間にか数羽のヒナが生まれ、今は飛び立つ練習をしている。
ミストルテイン城の薔薇園は、それはそれは美しく優雅で、時の流れを忘れてしまうほど。
作れと命じたのは紛れもなく国王自身だが、まさかここまで楽園のような庭になるとは思ってもみなかった。
ユーディアのお気に入りの場所でもあり、今日のように天気のいい日は、花冠を編みながら嬉しそうに散歩していた。
「旦那様、ご覧になって!
シロツメクサが咲いていたのです。今日は薔薇とシロツメクサの冠なのです!」
「やぁ、綺麗だな。君は本当に手先が器用だ」
「ふふ! ねぇ、旦那様、少し屈んでくださいます?」
「こうかい?」
「はい! さぁどうぞ。ユーディアから冠を授けましょう。
貴方様はユーディアの大切な大切な旦那様だとここに示します」
美しい花冠を頭に被せられた国王は、キョトンとした顔をする。
その様子がおかしいのか、妖精が囁くような微笑みを浮かべるユーディア。
彼女は今年で19歳。あどけなさよりも美しさが際立つようになってきた。
ビロードのような艶やかな白金の髪に、透き通った桃色の瞳。
この美貌に目を奪われない王都民はいないといっていい。
ユーディアはかつて、両足が不自由だった。
生まれてから13年間ずっと車椅子で生活していたのだ。
呪いのように彼女の自由を奪っていた枷が外れたのは6年前。
それ以来、ユーディアはとにかく歩き回ることが大好きで、庭の散歩も大切な日課と化している。
彼女の純朴さはずっと変わらない。
「毎日が幸せ」と心の底から思い、いつも夫へ微笑みかけている。
その幸せが、“偽り”の上に成り立っていると知るのは、ごく限られた人物だけ。
「ユーディア様、お医者様がお見えです」
使用人がそっと声をかけてくる。
大変、とユーディアは口を押さえた。
「まぁ、もうそんな時間?
すっかり長居してしまいました。旦那様、また後でお会いしましょうです」
「あぁ。行ってらっしゃい」
妻の楽しそうな後ろ姿を見送り、国王は深いため息を一つ。
憂うような主の横顔を見上げる犬は小首を傾げる。
ユーディアを見送った彼は、庭の奥に静かに佇む石碑の前に立つ。
この石碑も、国王が命じて作らせたもの。
不特定多数の慰霊碑だとして名を刻ませなかったが、彼の中では、そこに眠る魂の名前は決まっていた。
「……もしも君達がここにいたら、どんな国になっていたんだろうね……。
僕って、ちゃんと王様になれてるのかな。
ねぇ、ジスト、メノウさん」
澄んだそよ風が吹き抜けていく。
それが答えだと、“彼女”が告げているかのように。
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